監督:木下惠介、原作:火野葦平、脚色:池田忠雄、撮影:武富善男、美術:本木勇、録音:小尾幸魚、製作:松竹大船撮影所、後援:陸軍省、主演:田中絹代、笠智衆、1944年12月、87分、配給:映画配給社(白系)
幕末から日清・日露の両戦争を経て上海事変に至る60年あまりを、小倉に住む家族の三代にわたる姿を通して描いた作品。
陸軍省の依頼で「大東亜戦争3周年記念映画」として製作され、「陸軍省後援 情報局國民映画」という表記が冒頭に出る。ラストシーンの行軍のエキストラには、実際に出征する兵士たちが映されており、その多くは南方で戦死した、とされる。
大東亜戦争の只中に作られた作品であり、戦意高揚、銃後の守りを固くする、という当時の日本国民に、天子の赤子としての意識を自覚させようという狙いがあるのは明らかだ。
映像上、定点長回しが多い。これにより、観る側は、あたかもその場に臨んでいるかのように、確実に各シーンを味わうことができる。一方、役者は長い台詞やそこでの間のとりかたなど難しい演技を強いられるが、みな演技達者だ。特に、主演の笠智衆は40歳、その妻わかを演じた田中絹代は35歳は、すでに熟練の域に達しており、伸太郎役の星野和正は14歳であるが、滑舌、微妙な表情など大人に匹敵する演技を披露している。児童劇団「東童」に所属していたとされるが、当時は子役でも、かなり演技がしっかりしていたことをうかがわせる。
髙木家に代々伝わる国家観は、友彦(笠智衆)が櫻木(東野英治郎)に請われ、筥崎宮(はこざきぐう)参拝の折、櫻木の工員たちに、元寇の際の神風の話をするときや、その後の二人の会話にも現れる。この二人は、会うたびに激しい応酬をするものの、また仲を取り戻すのは、冒頭に出る「兄弟(けいてい)牆(かき)に鬩(せめ)ぐの有様はまことに日本の危機ではあった」に対する反省ともとれる。軍人教育の徹底ぶりも、伸太郎が誤って国定教科書を踏むと、母わかが激怒するシーンなど、いたるところに描写される。軍人勅諭も何度か台詞に読まれ、伸太郎の出征行進の見送りを躊躇していたわかが、いよいよ気持ちが落ち着かず見送りに出る際、口ずさむのも軍人勅諭であった。
わかが伸太郎を見送る長めのシーンは、そのままラストにつながる。日の丸を振り、熱狂的に行軍を見送る多数の人々の中、わかはようやく伸太郎のいるところに追いつき、笑顔を交わすが、人にぶつかり、最後ははぐれてしまう。歩みを止め、わかは行軍に向け、手を合わせる。周囲と異なるこうした一連の行動を描写したことで、木下が当局から睨まれることになるのも納得できる。
ストーリーの賛否を超え、何よりも、市井の日本人の歴史や、そこに貫かれた国家観が披露され、特に伸太郎の出征という現実を通じ、当時の日本人と日本の姿を見ることができる貴重な作品だ。
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