映画 『不安』

監督:ジェラルド・カーグル、撮影:ズビグニェフ・リプチンスキ、編集:ズビグニェフ・リプチンスキ、音楽:クラウス・シュルツ、主演:アーウィン・レダー、1983年、87分、オーストリア映画、ドイツ語、原題:Angst(=不安)、配給:アンプラグド


1980年にオーストリアで実際に起こった一家惨殺事件の映画化。

監督はこれが初となるジェラルド・カーグルで、内容柄、どこからの資金援助もなく、全額を自費で製作した。欧米で上映中止の映画館が相次ぎ、カーグルは無一文になったという。


幼少のころより、その家庭環境などの影響で、サディスティックで残虐な悪事ばかりを繰り返し、刑務所にいる時間のほうが娑婆にいるより長いような男K(アーウィン・レダー)。

冒頭に、見ず知らずの家をいきなり訪れ、ドアを開けた老婦人を拳銃で射殺する。精神鑑定をした医師は、サディズムが犯行を行なわせたとは判断できず、まともな精神状態であったと証言し、懲役10年の実刑をくらう。誕生して以来のさまざまな情報が、写真といっしょに解説され、オープニングとタイトルが出る。


いよいよ某年10月28日に、Kは出所する。その直後、コーヒーショップに入るが、特に何も行動を起こさず、今度はタクシーに乗る。ドライバーは女性であり、靴紐を解きながら、後ろから首を絞めるチャンスをうかがうが、ドライバーに見抜かれ、タクシーを降り、その後逃げまどう。森の中まで逃げ、誰も追ってこないことを確認する。

さらに歩くうち、林のなかに一軒だけ建つ大きめの屋敷が目に入り、家のまわりを一周するが、人が住んでいる気配がない。思い切って窓を破り、中に入ると、車いすに乗った知恵遅れの中年男がいるだけだった。しかしそこに、住人と思われる老婆とその娘らしき女の二人が、車で帰ってきた。・・・・・・


刑務所を出所した後の殺人鬼が感じる不安や異様な心理を、K本人の独白で綴っていく。カメラは、この3人の家族を傷めつけ殺害するKの行動を、リアルにとらえていく。殺人鬼の心理を探り、それを映像とモノローグで語っていこうというのが本作品の狙いのようだ。


画面に常に映るK、それぞれは長くないが頻繁に入るK自身のモノローグ、残虐な殺人行為をそのまま映し続けるカメラ、・・・ある程度の耐性がないと見ていられないシーンが多い、と言う人もいるようだが、事件ものやホラーを見慣れていれば、さほど残虐とは映らない。

むしろ、この映画を撮ることの意味または意義は何か、これらの映像と独白で、果たしてKの<不安>を描けたのか、という点が問題である。


会話ではなく、全編のほとんどが犯人の独白のみで語られ、K自身の入るカメラフレームが続く。冒頭に美しい旋律が流れるが、それ以降のOSTや効果音は最低限の使用だ。殺人鬼の感じる恐怖や不安を表しているのだから、観る側は、犯人の心理に同調しなければならないが、そもそも極悪人であり、幼少時からの家庭環境や大人からの仕打ちがあったからといって、犯人の心理的追体験はできても、どこまで感情移入できるであろうか、甚だ疑問が残る。一首のマニアック趣味の人間には受け入れられても、一般の観客には難しいのではないか。


映画としてのエンタメ性にも乏しく、痛めつけるところから殺害に変化するあたりの理由を理解するためには、独白としては情報が物足りない。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。