監督・製作:アナトール・リトヴァク、脚本:ジョージ・タボリ、撮影:ジャック・ヒルドヤード、主演:デボラ・カー、ユル・ブリンナー、1959年、126分、カラー、アメリカ映画、配給:MGM、原題:The Journey
ハンガリー動乱でソ連軍の介入し始めた1956年11月、ハンガリーのブダペスト空港は、西欧に向かう最終便の飛行機がいつ飛び立つかわからず、乗客14人がロビーで待たされていた。動乱を制圧するため、ソ連軍がハンガリー内に入っているためで、空港の拡声器では、民間機は離陸を禁止する案内を流していた。やがてようやく一行は、軍用バスで国境の街へ向かい、そこからウィーンへと向かうことになった。
14人の中のフレミング(ジェイソン・ロバーズ)とアシュモア(デボラ・カー)のカップルは、夫婦のように見えたが、知人同士のようにも見え、コートで隠しているがフレミングは右肩を負傷していた。フレミングは実はポール・ケデスという名前のイギリス人で、この動乱をレジスタンスの側から支持している分子であった。
ようやく、オーストリアとの国境近くの町に着いたが、国境警備隊は、本部からの越境許可がないとして一行を降ろし、警備隊も出入りするホテルで待機するよう命じた。警備隊の隊長スーロフ少佐(ユル・ブリンナー)は、国境近くのこの町では動乱のようすがわからず、一行から、ブダベストの情報を手に入れる目的もあった。オーストリアを目の当たりにしながらいつまでも足止めを喰らい、一行には苛立ちが募ってきた。・・・・・・
デボラ・カーとユル・ブリンナーは、『王様と私』(1956年)に次ぐ共演である。ジェイソン・ロバーズは本作品がデビュー作で、『トラ・トラ・トラ!』(1970年)のショート将軍約で知られる。アヌーク・エーメが、レジスタンスの一人として何度か登場する。台詞は一切ないが、ラストでスーロフを射殺する。
数日間の出来事を丁寧に描いているが、後半三分の一がやや冗長だ。ホテルの食堂では、バスで来た一行は、毎晩のように、スーロフ少佐やその部下と同じテーブルを囲み、食事をする。スーロフは、任務と同時にアシュモアに関心をもつが、ソ連軍であり軍人でもあるということで、ストレートな物言いや言い寄りはしない。アシュモアがレジスタンスのフレミングの同士であることをわかっていることもあり、酒の飲み方や態度で、遠回しに気があることをアシュモアに知らしめる。本作品に、軍事下の恋愛要素が混入する端緒である。
中盤過ぎあたりで、スーロフが楽隊に音楽を演奏させ、テーブルをよけて皆でダンスを踊るシーンは、軍人であるスーロフの別の一面を見せるところで、皆もこのときばかりは、足止めを喰らったいらいらを忘れて踊り興じる。こういうシーンはラスト近い山場に登場するので、その後一挙に悲劇かハッピーエンドのいずれかに収束するかと思いきや、そこからの展開が少し長い。そこからラストまで、もう少し手際よくまとめてもよかっただろう。
フレミングとアシュモアは、舟で脱出するが、ホテルの女中の告げ口でスーロフが見回りにやってきて、見つかってしまう。二人はそれぞれに連行されるが、フレミングは病院で肩に残った弾丸を抜いてもらう。そのとき介添えをしたのはスーロフであった。
一行が、いよいよアシュモアに言い寄り、あなたがスーロフの「お気に入り」として残ってくれれば、私たちはすぐにでも国境を超えられる、と告げる。迷った末にスーロフの元に来たアシュモアを、スーロフはいかにもしなかった。スーロフはその直前、自分の乗っていた愛馬を、レジスタンス(アヌーク・エーメ)らに狙撃されていた。壁にはスーロフ一族がその馬と写っている写真が掲げてあり、それを彼はじっと眺め、もう助からぬ愛馬の殺処分を、部下に命じたところだった。
スーロフはソ連軍人でありながら、ソ連政府の方針に賛同するしないにかかわらず、人間味のある男なのである。その人間味は、ホテルに一行が来たことによって解放されたのであり、特にアシュモアによって覚醒させられた自分自身だったのだ。
こうした人間味により、最後、一行全員を、オーストリア国境まで輸送し、フレミング、アシュモア含め、全員が国境を越えることができたのであった。しかしその後スーロフは、ほっとしてタバコを燻(くゆ)らすさなか、レジスタンス(アヌーク・エーメ)によって銃殺され、エンディングとなる。
後半やや冗長ではあるが、動乱の中での一人の軍人のありかた、その選択した方法と実行、という観点で見るならば、丁寧に書かれ、エンタメ性も盛り込まれた作品と評価できる。
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