映画 『刑事』

監督:ピエトロ・ジェルミ、脚本:ピエトロ・ジェルミ、アルフレード・ジャンネッティ、エンニオ・デ・コンチーニ、原作:カルロ・エミーリオ・ガッダ『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』、撮影:レオニーダ・バルボーニ、音楽:カルロ・ルスティケッリ、主題歌:アリダ・ケッリ「死ぬほど愛して」、主演:ピエトロ・ジェルミ、クラウディア・カルディナーレ、1959年、118分、イタリア映画、原題:Un maledetto imbroglio(いまいましい詐欺)


強い雨の午後、ローマのアパートに泥棒が入り、近所の人々が外に出て大声で捕まえろ、と叫ぶなか、犯人は逃げ去った。警部イングラヴァロ(ピエトロ・ジェルミ)と部長刑事サーロ(サーロ・ウルツィ)らが現場に入った。住人は、一人で住むアンザローニという中年男だった。アンザローニは、盗難品は対して価値あるものではないので、大袈裟にしないでほしい、新聞にも出さないでくれ、と言う。この家には、アスンティナ(クラウディア・カルディナーレ)という女中がいて、彼女は隣の家のバンドゥッチ家の女中でもあった。彼女は事件発生時、バンドゥッチ家のほうにいて、事件について知らない、と言った。聞き込みからイングラヴァロは、アスンティナの許嫁(いいなずけ)である電気技師ディオメーデ(二ーノ・カステルヌオーヴォ)が怪しいと踏み、取り調べた。アスンティナの手前、アリバイがないにもかかわらず、嫌疑を否定したが、イングラヴァロと二人だけになると、アリバイを話した。その時間、アスンティナに隠れて、アメリカ女と遊んでいた、というのだ。

一週間後、バンドゥッチ家の夫人リリアーナ・バンドゥッチ(エレオノラ・ロッシ=ドラゴ)が、何者かに殺害された。第一発見者は、リリアーナの従兄弟で医師のヴァルダレーナ(フランコ・ファブリッツィ)であったが、ヴァルダーナは警察に連絡する前に、置いてあった大きな封筒を上着のポケットにしまい込んでいた。

リリアーナの遺言状が公開された。以前この家に勤めていた二人の女中と、アスンティナ、ヴァルダレーナには遺産が渡されたが、夫のバンドゥッチ(クラウディオ・ゴーラ)には一銭も残されなかった。バンドゥッチは当然のように憤慨した。イングラヴァロは、夫婦の間に何かあったと疑い、バンドウィッチを尾行する。・・・・・・


主題歌は世界的に有名で、中学生のころから知っているが、通して観たのは初めてだ。こういう映画だったのか・・・。


窃盗事件は何とか解決するも、殺人事件のほうは、怪しい人物は大勢いたが、いずれもアリバイがあるなど、検挙できず、ほぼ迷宮入りになりかける。だが、ラスト直前に急転直下、犯人はディオメーデであることがわかり、逮捕される。宝石目的で侵入したものの、突然リリアーナが帰宅したので、押し問答の末、そのつもりはなかったが、殺してしまったのである。ひと通りの事情聴取のあと、隣室にいるアスンティナに別れを告げる。アスンティナは裸足のまま外に飛び出し、ディオメーデの連行される車を追い、エンディングとなる。


邦題からして、事件もの、或いは、刑事もの、と想像するが、原題にあるとおり、いまいましい詐欺、のほうが内容に近い。金銭の詐欺というより、人間同士の騙し合い、といったほうが内容に近い。imbroglio には、「浮気」という意味もあるようだ。この騙し合い、又は、化かし合いのこんがらがった糸を一つ一つ解いていくのが、刑事たちの地道な捜査なのである。


欲が絡み、愛憎が絡み、見栄が絡む人間たちの社会、それらを、殺しという一件から細かく紡ぎ出していくストーリー展開で、シーンの切り替えもテンポよく、緊迫感が保たれている。ある人物から、またある人物へと疑いが広がるごとに、人間関係がどんどん広がっていく。そこに介在する人間たちは聖人君子ではなく、自己の立場やら将来への不安やらを抱えつつも必死に生きている生身の人間であった。

バンドゥッチ夫妻のように裕福だが冷めた夫婦もあれば、ディオメーデとアスンティナのように貧乏だが相思相愛の新婚カップルもある。そのディオメーデが、リリアーナを殺してしまったのだから、経済的理由だけからすれば合点がいくが、皮肉なことである。


イントロとエンディングに、哀愁を帯びた主題歌「死ぬほど愛して」が流れる。歌っているアリダ・ケッリは、音楽担当のカルロ・ルスティケッリの娘ということだ。この曲は、「アモーレ・ミオ」という題として我が国でもよく知られている。


エンディングを見ていると、登場人物名で出てくるのはイングラヴァロだけで、それ以外、アスンティナは「女中」であり、ディオメーデは「電気技師」、リリアーナは「殺人被害者」、リリアーナの夫は「夫」、ヴァルダレーナは「従兄弟」などと、職業や縁戚関係で表わされている。

主演の刑事であり監督でもあるピエトロ・ジェルミからした場合、人物固有の名称は重要ではなかったのではないか。とりあえず都合上、人物名を配してあるが、本作品の内容は、ひとつのことを追及していくと、木の枝ぶりのように広がっていく人間関係や、そこに生まれ、そこに生まれる人間模様、そして淀んでいる人間の性(さが)を剥き出しにすることにあったのではないか。


ラスト近く、ディオメーデが連行され、イングラヴァロが、隣室のベッドで泣きじゃくるアスンティナを見る。イングラヴァロは一瞬視線を落とし、すぐまたアスンティナを見る。アスンティナは、恨むような目でイングラヴァロを見返す。犯罪者ではあっても、愛する人を奪っていくあなたを許せない、という悲痛の表情だ。ここのクラウディア・カルディナーレの演技はすばらしい。その後、大声でイングラヴァロの名前を呼び、車を裸足で追いかけるシーンは、ラストシーンとして圧巻だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。