映画 『秘密殺人計画書』

監督:ジョン・ヒューストン、脚本:アンソニー・ヴェイラー、原作:フィリップ・マクドナルド、撮影:ジョセフ・マクドナルド、編集:テリー・O・モース、ヒュー・S・ファウラー、音楽:ジェリー・ゴールドスミス、主演:ジョージ・C・スコット、1963年、98分、アメリカ映画、配給:ユニバーサル・スタジオ、原題:The List of Adrian Messenger


イギリスが舞台。元英国の情報部員アンソニー・ゲスリン(ジョージ・C・スコット)は、現在はブルーム家の所有となっているグレンエア邸で、キツネ狩りをしたあとのひとときを、当主のグレンエア侯爵らと楽しんでいた。侯爵や孫が去ったあと、同じく招待されていた作家エイドリアン・メッセンジャー(ジョン・メリヴェイル)から、ある調査を依頼される。それは、犠牲者10人に及ぶある連続殺人の犯人捜しであった。そのリストには、10人の自明・住所が書かれていた。これらの殺人は、場所も時期も全く異なり、偶然が重なっただけかのように見えたが、エイドリアンは、犯人は同一人物だと睨んでいた。エイドリアンは北米に戻り、二週間後にまたイギリスに帰ってくるので、そのときまでに、少なくとも現住所にそれらの人物が住んでいるかだけでも確認してほしいという。ゲスリンは気軽に引き受けた。

ところが、エイドリアンの搭乗した北米行きの飛行機は、貨物室の客の荷物が爆発したことで、海上に墜落してしまう。運よく海に放り出されたエイドリアンは、板切れにしがみつきながらも、たまたま近くに同じく漂っていて自分を助けてくれたル・ボルグ(ジャック・ルー)という男に、ゲスリン宛の最後の言葉を残し、死んでしまう。ル・ボルグもグレンエア家と親しく、ゲスリンは、入院中のル・ボルグに会いにくる。そして、単語を並べただけのようなエイドリアンの最期の言葉を手がかりに、犯人追及を開始する。・・・・・・


冒頭オープニングで、タイトルの出る前、一人の初老の男が、エレベターを操作して殺してしまうシーンが出る。かなりの変装をしているが、登場手続きに続くトイレのシーンで、カーク・ダクラスの変装ということがわかる。そう、すべての事件の犯人は、カーク・ダクラス演じる男であった。


ブルーム家の主催するキツネ狩りのシーンは、冒頭のほか数度出てくる。広大な大地を、キツネをけしかける犬とともに、馬にまたがった多数の紳士、淑女、子供たちが追いかける。カメラは、狩猟シーン全体のほか、馬が障害物を飛び越えるシーンなど、多彩な動きを見せてくれ、これらシーンだけでもエンタメ性は充分だ。しかも、ラストの狩りのシーンは、いよいよ犯人逮捕につながるのである。

ブルーム家の広い居間でショパンのノクターンが弾かれるシーンでは、俯瞰する長回しが使われている。カメラは、アップから遠景まで、縦横に動いている。


音楽は、後に映画音楽の大御所となるジェリー・ゴールドスミスで、クラシカルなOSTがふんだんに散りばめられ、上流社会の人々の生活ぶりと連続殺人の両方に通じるミステリアスな旋律を用意している。


本作品には、当時すでに著名な俳優が、<重厚な>変装をして登場している。本編終了直後、「ちょっと待った」というメッセージが流れ、そのあと、変装していた俳優が正体を現わす。トニー・カーティス、バート・ランカスター、ロバート・ミッチャム、フランク・シナトラ、そしてカーク・ダグラスである。トニー・カーティスとフランク・シナトラは、ほとんど顔を覆うメイクをしているので見抜くことはできないが、ロバート・ミッチャムは見抜けるだろう。キツネ狩り反対のプラカードを持っていた婦人をバート・ランカスターが演じていたとは、夢にも思わなかった。


本作品は、行き届いた脚本や、よく動くカメラとともに、映画のラストにいたるまで、エンタメ性たっぷりの映画である。さすがに、というべきか、ジョン・ヒューストンである。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。