監督:ジョセフ・ロージー、製作:ジョン・ヘイマン、ノーマン・プリゲン、原作:マルコ・デネヴィ、脚本:ジョージ・タボリ、撮影:ジェラルド・フィッシャー、編集:レジナルド・ベック、音楽:リチャード・ロドニー・ベネット、主演:エリザベス・テイラー、ミア・ファロー、ロバート・ミッチャム、1969年、110分、イギリス映画、原題:SECRET CEREMONY
レオノーラ(エリザベス・テイラー)は、すでに若いとは言えない年齢になっていたが、自分の不注意から最愛の娘を10歳で溺死させたショックから立ち直れずにいた。ロンドンの安っぽいアパートから出かけ、バスに乗ると、見知らぬ若い女の子が近寄ってきた。バスを降りる際、少女はレオノーラを「マミー!」と呼んだ。少女はレオノーラの後を付けてきて、ついには手をとり、自分の家へといざなうのであった。
そこは、古びてはいるが大変な豪邸であり、居間の机の上には、少女とその母親の写真が飾ってあった。レオノーラは、その母親に、自分がそっくりであることに驚き、少女の言うなりに、その屋敷に住みついてしまう。少女は、チェンチ(ミア・ファロー)という名であった。娘を失った母と、母を失った娘は、奇妙な同居生活を始める。・・・・・
中盤より、チェンチの義父・アルバート(ロバート・ミッチャム)が登場し、テェンチの亡き母の結婚相手であるにもかかわらず、幼いチェンチに猥らな行為をせまり、いまだにチェンチを女として愛しているが、卑猥な男でもある。
これら三者それぞれが独立しているというより、これら三者の<関係>が中心となっている。
心理的サスペンスといえば言えようが、一定の方向性といったものを持っておらず、それぞれの心境や<関係の変容>で見せていくので、見方により評価の分かれる作品だろう。
チェンチは少々、精神的に病んでおり、そのガラスのように透明な純粋さは、ややもすれば幼児傾向の表われであり、あるいはまた、汚れた大人の通常の心理では割り切れない少女らしい童心でもある。
カメラワークや照明に特筆すべきものはなく、室内を中心として丁寧に撮られている。波から始まる海のシーンは解放感があるが、それはまた逆に、これら三人の異常で閉塞した世界を強調する役割をもたされたかのようだ。
原題の Secret Ceremony とは、何を指すのか。世間には露呈しないこれら三人の特殊で異様な関係のなりゆきのことであろう。
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