監督:ミロス・フォアマン、脚本:ローレンス・ホーベン、ボー・ゴールドマン、原作:ケン・キージー『カッコウの巣の上で』、製作:ソウル・ゼインツ、マイケル・ダグラス、撮影:ハスケル・ウェクスラー、ビル・バトラー、編集:シェルドン・カーン、リンジー・クリングマン、リチャード・チュウ、音楽:ジャック・ニッチェ、主演:ジャック・ニコルソン、1975年、133分、アメリカ映画、配給:ユナイテッド・アーティスツ、原題:One Flew Over the Cuckoo's Nest
カッコーの巣(the cuckoo's nest)とは、精神病院の隠語である。
テイバー役のクリストファー・ロイド、ビリー役のブラッド・ドゥーリフ、マティーニ役のダニー・デヴィートのデビュー作ともなった。
とある精神病院に、刑務所から逃れるためにわざと精神病を患っているかのようにふるまい、ランドル・パトリック・マクマーフィー(ジャック・ニコルソン)が入院してきた。薬の時間に配られる向精神薬を飲んだふりしたり、決められた日課を変え、テレビでワールドシリーズを観たいと主張するなど、病院内の決まりに反抗する。それはまた、実質的に患者全員に対する責任者である看護婦長・ラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)に対する抵抗でもあった。他の患者たちは初め、決められたままの生活でよいと思っていたが、次第にマクマーフィーの発言や行動に賛同していくようになる。・・・・・・
舞台も結末も異なるが、『ショーシャンクの空に』(1994年)を観たあとに似た感動がある。
グループセラピーのシーンが何度か登場し、そのつど新参者せあったマクマーフィーが前からいる患者たちに慣れ、その意見になびいていく。セラピーのシーンと平行して、マクマーフィーのアイデアによる釣りのシーンや、深夜の乱痴気騒ぎのシーンというストーリー上の転換点となるシーンに時間が割かれ、ラストは意外な結末にもっていっている。病院内と決まったメンバーからなる閉鎖性を排している。一本調子にならぬ製作上の工夫が功を奏した。
カメラも、こうした脚本や流れに基づいて、徐々に徐々にヴァリエーションに富んでいく。それまでなかった顔のクローズアップは開始40分から取り入れられている。セラピーのシーンで、ラチェッドがビリーと対話するシーンだ。その後、フレームの中の一つとしてアップが入ってくるが、そこまではあえて抑制した撮り方をしている。おそらく、マクマーフィーが他の患者や看護師たちの中の一員であることを示しておくためだろう。その後リーダーシップをとっていくように見せるためには、初めから彼が目立った存在になってはまずかったのである。
他の患者たちの病気の具合を初め、それぞれのキャラクターが、その外見や行動を含め、きちんと区別されて描写されている。それぞれの患者たちも、序盤、中盤から終盤にかけて、それぞれの役割を担い、また、変化していくようすがよく見てとれる。患者役の一人ひとりが、演技達者でなければ、こうした映画は作れない。特に、吃りで気の弱いビリーや、マクマーフィーと最も心を通わせることになったチーフ(ウィル・サンプソン)の演技派高く評価したい。
この映画のファーストシーンとラストシーンは、互いに呼応している。ファーストシーンでは、夕刻の田園風景が長く映り、そこにタイトルロールが流れ、やがて、マクマーフィーを燃せた車が遠くを横切っていく。ラストシーンは、暗闇のなか、窓を破壊し、病院を脱走したチーフが遠くに小さく捉えられ、延々と遠くに走っていく。マクマーフィーの登場とチーフの脱走は、内容上、好対照をなし、それがファーストシーンとラストシーンになっている。
管理主義的なラチェッドの登場は、冒頭すぐであり、颯爽とした出勤風景である。マクマーフィーが登場する前であり、この順序は効果的であった。
ジャック・ニコルソンは、こうした狂気じみた演技は得意であるようで、この前年の『チャイナタウン』(1974年)より、『シャイニング』(1980年)を思い出す。タークル役のスキャットマン・クローザースは『シャイニング』でもニコルソンと共演している。
乱痴気騒ぎのあと、マクマーフィーは帰ってきた。チーフはマクマーフィーのベッドに近寄り、今こそ自分にも脱走する元気があると伝えるが、ロボトミー手術を施されたマクマーフィーは、もはや廃人同様となり、チーフの言葉も耳に入らぬようだった。チーフはマクマーフィーを抱き締め、こんな姿のまま残しては行かない、一緒に行こう、と囁くと、枕をマクマーフィーの顔面に押し付け、窒息死させる。チーフに感謝の気持ちとして、マクマーフィーにしてあげられる唯一のことだったのだ。
アメリカン・ニューシネマ後期の代表作と位置付けられるのはごもっともだと思う。決まったものに対する反発や抵抗をモチーフとしているので、そのような位置づけに無理はない。であるからには、映画作品としては高く評価するのだが、内容自体はそれほど厚みもなく、いかにも<反戦的進歩的アメリカ>を象徴するような<だらしなさ>を感じ、個人的にあまり好きではない。
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