監督:野村芳太郎、脚本:井手雅人、原作:三木卓、製作:野村芳太郎、織田明、撮影:川又昂、編集:太田和夫、音楽:芥川也寸志、主演:渡瀬恒彦、十朱幸代、若命真裕子、1980年、114分、配給:松竹
三好昭(渡瀬恒彦)・邦江(十朱幸代)夫婦には、幼い一人娘・昌子(若命真裕子)がいた。住まいの高層マンション近くの川べりで泥んこ遊びをしていた昌子は、指先にケガをした。釘を刺した程度のたいしたケガではなかったが、数日後、歩き方がおかしくなり、言葉も話さないようになってしまう。ある晩、自身の舌を噛み切り、のたうち回った。大学病院の小児科医長(宇野重吉)は、各種の緊急の検査の結果、昌子の病気は破傷風だと伝えた。致死率の高いこの病気の治療のため、昌子は隔離された一人用の病室に緊急入院した。音や光のちょっとした刺激で痙攣を起こすため、病室のすべての窓には黒い幕が張られた。廊下にも注意書きが貼られた。主治医は、女性医師・能勢(中野良子)であった。こうして、難病に苦しむ昌子に対し、能勢と夫婦の賢明な努力が始まった。・・・・・・
昌子の口回りが血まみれになっているシーンなど平気で描写しているが、ホラーではなく、やはり、破傷風という病気の恐ろしさとその治療に焦点が当てられ、その副次的産物として、昭や邦江の疲労・憔悴・精神的崩壊が描かれている。
昌子の病室は黒い幕が張ってある上、病院内のシーンが多く、冒頭や回想シーンなどを除けば、全体に画面は暗い。昌子は痙攣を起こすたびに、自身の舌を噛むので、そのつど口が血まみれになる。その知らせを聞いて駆けつける医師や看護婦は、痙攣のつどこわばって頑なに閉じられている上の歯と下の歯をこじあける。たまたま能勢がいないときに起きた痙攣では、若い医師(中島久之)が、やむを得ず、両親の了解を得て、下の前歯二本を折り、呼吸チューブを口奥へ挿入する。
次々にとられる治療方法は、治療とはいえ痛々しい。観る側の親族に、似たような器具や注射をされた者が身近にいるなど現場を見たことがある場合を除き、残忍ともいえるような懸命の治療が続けられていく。幼い子供の口に挿入されているチューブ、手足を拘束する器具類、血清などを打つ注射、胃の内容物の吸引など、人体にいろいろな器具が刺さった状態を目の当たりにし、邦江が、もう治療はやめて!と絶叫する気持ちもわかる気がする。
どうにも回復しない昌子を見て、昭は昌子は死ぬのだろう、と覚悟する。邦江は昌子の髪を切り、自宅に帰ると、自らの髪も切る。昭が邦江を一旦家に帰したのは、家でゆっくり寝かせることであったが、部屋を掃除して通帳を持ってくるよう言ったのは、自宅で葬儀を行なうための準備を考えたからであった。
能勢ら医療チームの献身的な治療により、昌子は回復に向かい、やがて大部屋にも移ることができた。ようやく映画は、ハッピーエンドへと向かう。
看病疲れと先行きの見えない状況から、邦江は憔悴しきり、精神的にもややおかしくなっていく。このあたりの十朱幸代の演技はよかった。また、心臓が動き出し、昌子が一命をとりとめたときと、昌子がようやく声を発したあと、能勢に言われて缶ジュースを買いにいき、慌てて床に転がった缶を拾いつつ、テーブルの下でうれし泣きに泣き崩れるシーンの渡瀬恒彦もよかった。
破傷風という言葉だけは知られているが、実際には、破傷風菌を病原体とする人獣共通感染症であり、病原菌が産み出す神経毒による急性中毒とのことだ。破傷風の現実を知るにも、ありがたい映画だ。
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