映画 『回転』

監督・製作:ジャック・クレイトン、脚本:ウィリアム・アーチボルド、トルーマン・カポーティ、原作:ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転(The Turn of the Screw)』(1898年)、音楽:ジョルジュ・オーリック、主演:デボラ・カー、イギリス映画、1961年、100分、原題:The Innocents(無邪気な者たち=子供たち)、配給:20世紀フォックス


ミス・ギデンズ(デボラ・カー)は、ブライ(マイケル・レッドグレイヴ)なる人物の面接を受けていた。ブライには幼い甥・マイルス(マーチン・ステファンズ)と、その妹・フローラ(パメラ・フランクリン)がいるが、旅行に出るし、また、子供の教育などできないという理由で、有能な家庭教師を探していた。ブライのお眼鏡にかない、ギデンズは採用されるが、何かあっても自分には相談することなく、一切の責任をもってくれ、と頼まれる。

ブライ邸は広々とした田園のなかにあり、近くには湖もあった。出迎えたのは、フローラと、長年この家に仕えているメイドのグロース(メグス・ジェンキンス)であった。マイルスは学校の寄宿舎にいて不在だった。

順調に始まった生活であったが、あすマイルスは戻ってくる、というフローラの言葉に、ギデンズは不可解な思いを抱く。しかし、マイルスは本当に、次の日に屋敷に戻ってきたのだった。その前日に学校から届いた手紙によると、マイルスは退学処分になったとのことだった。こうして、ギデンズと、マイルス。フローラ、グロースの4人を中心にした生活が始まるが・・・・・・。


いわば憑依もののホラーの部類に入るが、イギリス映画であり、作られた年代もあるせいか、実に上質で品格ある作品となっている。イギリス女優、デモラ・カーの英語も美しい。血を見ることもなく、キャラクター描写や会話と、陰影やアングルを活かした撮影により、心理描写で恐怖を産み出すホラー本道に位置付けられる作品だ。マイルスは大人びた卑猥な言葉を発したというグロースの台詞はあっても、具体的にどういう言葉遣いをしたかは表わされない。


フローラは普通の少女に見えるが、冒頭より、カメやクモが好きな一面が紹介され、マイルスは大人びた口調や目付きになるときがある。ギデンズとの挨拶代わりの接吻も、大人の男のそれであることを暗示するシーンがある。これらの素材が散りばめられた伏線上に、ギデンズの見た<生ける屍>の目撃談が加わり、この屋敷における過去の出来事を知るグロースの証言から、ストーリーは徐々に解決へと向かっていく。ギデンズはブライに言われた責任以上の自覚をもって、彼らに憑依している<支配者>どもを彼らの<なか>から追っ払おうと決心する。それはあくまでも、子供たちを大切に思うがゆえの決断であった。その気持ちは、途中に挿入される教会のシーンから想起されるタイトルバックのギデンズの真摯な祈りの姿に戻るのである。


マイルスは、かつて父親代わりとして屋敷にいたクリントという男を崇拝していた。ギデンズが、建物の屋上に男の影を見たので、そこに駆け上がると、いたのはマイルスであった。クリントと恋愛関係にあり、やはりこの屋敷にいたジェセルという女性と、フローラは親しくしていた。教会に行くと、フローラはこっそり、教会前の墓地のジェセルの墓に、花を手向けていた。

なぜ兄妹に、この二人が乗り移ったかは語られないが、グロースによれば、二人はそれぞれ残忍な死に方をしており、生前もあまり好ましくない男女であった。それでも、<死にきれない魂>が、自分たちを慕っていた無垢な二人の魂に乗り移ったのであろう。ギデンズは一種の悪魔祓いをすることになるわけだが、死んだ二人は悪魔ではなく生身の人間であり、それだけに強く幼い兄妹にとり憑いた。

なぜ、クリントとジェセルの姿を、ギデンズが見ることができたのか。それは彼女が、子供が好きで、子供たちを愛するがゆえに、その大切に思う子供たちの目を通して<見えてしまった>のであろう。ギデンズが、勉強部屋の自分の席にジェセルの亡霊を見たとき、近寄ったらジェセルの姿はなかったが、テーブル上の小さな黒板には、涙が落ちており、彼女はそれに触る。ギデンズが兄妹の憑依の世界に、リアルに入り込み、悪魔祓いをする決断に至るシーンだ。


ほとんどが室内を舞台とするが、部屋が幾つもあり、屋根裏部屋までもつ大きな屋敷を舞台にしてこそ、このストーリーは活きてくる。広い応接間、天蓋のついたベッド、彎曲した階段、長い廊下といった舞台に、蝋燭、オルゴール、ペンダントといった小道具、また屋外では、花の咲き乱れる庭園や湖、・・・こうしたゴージャスな舞台設定に加え、ギデンズの身につける19世紀末を象徴するような衣装の数々も、目を楽しませてくれる。


カメラは実によく動いている。邸宅への道や広い室内などの横移動、ギデンズとグロースの長い対話シーンにおける器用な動き、階段上から階下を見下ろすショット、屋上のクリントを映す仰角、ギデンズが湖のほとりの東屋で踊るフローラを見下ろす俯角など、バラエティに富んでいる。基本的に、会話で進むストーリーであるだけに、下手をすると演劇の撮影になってしまう危険性を、作る側がよくわかっているということだろう。


デボラ・カーのエレガントで知的な美貌と、滑舌の効いたクリアな発音は、悪魔祓いを決心する気丈な家庭教師役にぴったりであった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。