監督:ジョージ・キューカー、脚本:ジョン・ヴァン・ドルーテン、ウォルター・ライシュ、ジョン・L・ボルダーストン、原作:パトリック・ハミルトン『ガス燈』、撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ、編集:ラルフ・E・ウィンタース、音楽:ブロニスラウ・ケイパー、主演:シャルル・ボワイエ、イングリッド・バーグマン、ジョゼフ・コットン、1944年、114分、アメリカ、製作:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、配給:ロウズ、原題:Gaslight
霧の深いロンドン、ソーントン街。人手でガス燈に火を点ける時代。
ポーラ・アルクィスト・アントン(イングリッド・バーグマン)は、叔母で著名な歌手アリス・アルクィストの葬儀を終え、勧められて気分転換のため、そのまま自宅からイタリアに留学する。ポーラは、育ての親である叔母とこの家で暮らしていたが、叔母はある晩、何者かに殺害され、犯人は捕まらぬまま未解決となっていた。
ポーラはイタリアで声楽のレッスンを始める。伴奏しているのは、作曲家でピアニストのグレゴリー・アントン(シャルル・ボワイエ)であった。ポーラは、寂しさと不安のなか、グレゴリーの熱愛ぶりもあり、付き合って半月ほどのグレゴリーと結婚する。グレゴリーは、ポーラの育った家に関心をもち、ポーラの育った家で暮らしたいと言う。忌まわしい記憶を取り払い、家の中を改装するなどして、心機一転して生まれ育った家で暮らすのがポーラのためにもなる、というグレゴリーの説得に従い、二人はロンドンに戻り、ポーラの家で暮らすことになる。
大きな屋敷なので、エリザベス・トンプキンス(バーバラ・エヴェレスト)という、年配で耳の遠い女性と、ナンシー・オリヴァー(アンジェラ・ランズベリー)という、若いがやや生意気な女性の二人を、メイドとして雇うことにする。
ある日、グレゴリーは、自身の母の形見であるというブローチをポーラにプレゼントする。それをバッグに入れ、二人で市内観光に出たとき、ポーラは、バッグの中にそのブローチがないことに気付く。・・・・・・
戯曲を元にした映画というのは、多くの場合、失敗に終わるものが多い。戯曲の生命は台詞であり、映画の生命は映像である、という違いがあるからだ。戯曲の映画化は、その膨大な量の台詞を削り損ね、不要な台詞まで盛り込もうとし、脚本が、勇気をもって不要な台詞を削除することができないまま映画の台詞にしてしまうことで、映像が後退し、言葉だけの応酬が増え、映画が<読みもの>になってしまうきらいがあるのだ。
しかし、本作品は、その失敗を免れた例外と言えるだろう。その主因は、監督のジョージ・キューカーが舞台監督出身で、台詞に伴う演技指導が徹底していたこと、脚本が三人いて、独りよがりのものにならなかったこと、であろう。映画づくりの最後は、全般的に監督の裁量であるが、役割分担がはっきりし、それぞれが、良き作品をつくろうと必死になったのである。ちなみに、監督が脚本を兼ね、脚本が監督ひとりである場合、邦画・洋画・ジャンルを問わず、ほとんどの作品は失敗に終わっている。
本作品は、恐ろしい物体やアクションが登場するわけではない。夫の妻に対する心理作戦がテーマであり、すなわち、夫の台詞によって妻が心理的に追い込まれていくという話だ。徹底的に台詞を精査し不要なものと必要なものを分け、台詞を言うときの俳優の表情、フレーム、カメラワーク、編集、音入れ、などすべての分野において、神経質なほど綿密になされた仕事によって、みごとに映画化された作品だ。
戦争もの、歴史もの、政治もの、家族愛などが主流であったこのころ、サスペンスの分野で映画づくりを行なっていたのはヒッチコックくらいである。サスペンスがまだ<下>に見られていた時代だからこそ、40~50年代のサスペンス映画は、それなりの<意地>を見せなければならない必要もあった。どこまでもシリアスに、どこまでも洗練され選び抜かれた台詞と映像で出来上がった作品であるが、二人のメイドや、ローラ低の向かいに住むおしゃべりおばさんベッシー・スウェイツ(メイ・ウィッティ)を登場させることで、ユーモアを挿入することも忘れていない。
前半は仲睦まじい恋人同士や夫婦を演じていたシャルル・ボワイエとイングリッド・バーグマンだが、ポーラが物忘れや精神異常をきたしてくるようになると、徐々に、グレゴリーは本性を表し、ポーラも絶叫したりするシーンが出てくる。演奏会のさなか、時計の紛失からポーラは取り乱すが、この一連のシーンのボワイエとバーグマンの演技は必見に値する。
ロンドン警視庁のブライアン・キャメロン(ジョゼフ・コットン)が登場し、長年未解決であった殺害事件を解明することになるが、ポーラ邸を訪問したとき、この見ず知らずの男を信用するのは、ブライアンが、叔母がファンへとプレゼントした手袋を持っていたからであった。
タイトルのとおり、この映画は、ガス燈のショットに始めまり、ガス燈のショットで終わる。ガス燈は、その灯が小さくなり、灯りが乏しくなることで、ポーラの恐怖を掻き立てる役割を担っている。豪華な屋敷のなかは、絵画などが多いが、ポーラがはずしたと思いこまされる一枚の絵画、ポーラが紛失したと思いこまされるブローチや時計、また、手紙、聖書、そして手袋など、小道具の登場も多いが、しかしそれらはすべて、脚本上の意味が与えられている。
不朽のサスペンス映画として、その後のサスペンス映画はじめ多くの映画製作に影響を与えたというのも頷ける。俳優に対する演技のつけかたや、俳優の全身や顔の撮り方なども、その後の映画作りの影響を与えただろう。
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