映画 『エル ELLE』

監督:ポール・バーホーベン、脚本:デヴィッド・バーク、原作:フィリップ・ジャン『Oh...』、撮影:ステファーヌ・フォンテーヌ(フランス語版)、編集:ヨープ・テル・ブルフ(オランダ語版)、音楽:アン・ダッドリー、主演:イザベル・ユペール、仏・独・ベルギー合作、フランス語、130分、2016年、原題:Elle(フランス語で「彼女」)、配給:(仏)SBSディストリビューション、(米)ソニー・ピクチャーズ クラシックス、(日)ギャガ


原作はあるが、映画の題名としての elle は、フランス語で「彼女は(~した)」という意味であり、本作を男性を主役にして il(「彼は(~した)」)にしていれば、もっと平凡な作品になっていたであろう。


レイプがテーマとされているようだが、それは彼女ミシェル・ルブラン(イザベル・ユペール)の24時間の生活のなかに組み込まれたような出来事のように扱われている。ミシェルは今でこそ、オトナのおもちゃならぬ<オトナのアニメ>の製作会社の社長であるが、殺人犯で監獄に収監されている高齢の父と、若い男と再婚しようかという情欲の権化のような母をもつ。自身は別れた夫とも会うし、元麻薬の売人で気弱な息子ヴァンサン(ジョナ・ブロケ)やその女友達、向かいに住む夫婦とも仲良くしているが、その夫パトリック(ロラン・ラフィット)と不倫関係にある。会社での同僚アンナ(アンヌ・コンシニ)の夫ともセックスフレンドである。

いずれも下半身に関しては、とても社会常識のない男女が登場し、レイプを含め、中年男女の下半身の向かう先がテーマのような映画となっている。


室内シーンが多く、家の前の道のシーンやクリスマスのシーンなど夜間のシーンも多く、全体的に暗い映像が多いなか、ミシェルやその相手は、ライトが当てられたようにまことに朗らかだ。覆面を付けたレイプ犯が、実は向かいの家の夫パトリックであることは後半でわかるのだが、そこまでされてもミシェルは警察に届けることもなく、最後に襲われたときには、隠れていた息子ヴァンサンに殺される。そこで初めて警察が自宅内に入るが、事情を聞かれても、それまでのパトリックのしたことを話すわけでもない。


風景や情緒を楽しむ映画ではなく、ひたすらミシェルとその周辺の人間の<つながり>が描かれていくだけで、ホラーともサスペンスとも分類できない映画だ。あえてここに一つの主張があるのだとしたら、それは<女>という自己主張であろう。

初めに書いたように、主役が中年男であれば、ただひたすらレイプや不倫を楽しむ男の生きざまを見せられるだけの退屈な映画になってしまったであろうが、ぎりぎりのところ、女が主役であるところに、かろうじてようやく、この映画の存在意義が保たれている。


観終わって残ったのは、レイプ映画やスリラー映画の感想というより、共産主義の放つ悪臭だ。女がレイプされ、平然と不倫を重ね、若い部下のズボンを脱がさせ、二階の窓から向かいの男を双眼鏡で見ながら自慰行為をするという女を描いているが、そこに臭うのは、女の香水や女体の色香ではなく、女だってここまで平然とできるのだ、というふうな、女の人権中心主義の臭いのする映画であるということだ。このあたり、いかにもある種のフランス映画が常にそうであったように、事件性や人間関係よりも、主役となる女の<したたかな>生きざまを描いた作品といえる。


スリラーでもホラーでもなく、といって、レイプを扱った犯罪映画や家族の物語でもない。社会で働く女、特に本作の場合は彼女は社長であるが、その公私綯(な)い交ぜとなった日々の現実をこれでもかと畳み掛けるストーリーであって、本作は実は、極めて政治的色彩の強い映画となっている。


ある席でミシェルは、アンナから、夫が浮気をしているようで私たち夫婦はもう終わりだ、と告げられる。その不倫相手こそミシェル自身だが、そのときはとぼけている。その後のパーティの席で、ミシェルは自分のほうからわざわざ、不倫相手が自分であるとアンナに伝える。そして、ラストシーンでは、ミシェルが両親の墓参りに来たところへアンナが現われ、談笑しながら肩を並べて墓地の向こうへ去って行く。

ミシェルが反省したわけではなく、アンナに心から謝罪したわけでもない。ミシェルにはそもそも、不倫は罰だ、レイプは犯罪だ、と位置付ける感性はない。だから謝ることもない。こうした<生き方>や<進歩的発想>がアンナにもなければ、いくら互いの実力を認め合う同僚とはいえ、あのラストシーンはありえない。


かくして、<彼女は~した>をいろいろな角度から列挙した本作品は、レイプや不倫を題材とした<女>を、自己主張する物語となった。人権好きなヨーロッパでは評価が高かったようだが、日本ではそれほどでもなかったのも頷ける。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。