映画 『脅迫(おどし)』

監督:深作欣二、脚本:深作欣二、宮川一郎、企画:秋田亨、撮影:山沢義一、編集:祖田富美夫、照明:元持秀雄、美術:北川弘、音楽:冨田勲、録音:大谷政信、主演:三国連太郎、西村晃、1966年(昭和41年)2月、84分、モノクロ、配給:東映。


三沢(三国連太郎)は、大手広告会社の営業部長で、新興住宅地にぽつんと建つ一戸建てをもち、妻・弘子(春川ますみ)、長男(保積ペペ)と暮らしていた。

ある結婚式の仲人を終え、自宅に戻って三沢は正夫と風呂に入り、弘子が夕飯の支度をしていると、玄関から二人組が押し入ってきた。二人は、テレビや新聞に顔も名前も載り、指名手配で逃亡していた川西(西村晃)と、その弟分サブ(室田日出男)であった。川西らは赤ん坊連れであったが、その子は、大病院を経営する坂田(三津田健)の孫であった。

川西が言うには、あす中に、赤ん坊を人質に、坂田から大金を脅し取り、新潟から国外へ逃げるということであった。三沢一家は、外部にも連絡できないまま、二人の極悪人と一夜を過ごすことになる。

翌日、川西は、三沢に命じ、坂田に電話をかけさせ、身代金を持って指定した場所に来い、と言わせる。・・・・・・


平穏な一家に極悪人が押し入るという点で、筋立てが『必死の逃亡者』(1955年)に似るが、悪人対家人の構図だけで進むのではなく、三沢の心理的変化を盛り込んでいる。


川西は、一回目の20万円の身代金では初めから取り引きするつもりはなく、実は1000万円の要求が狙いであった。最後は、三沢の意志により、カネは川西らに渡らず、川西ら二人は破局を迎えることになる。

身代金強奪のこの基本軸の脚本展開の下、三沢一家や川西ら二人のやりとりを、リアルな描写で描き続けていく。


ラスト近く、三沢が、カネの入ったバッグを見せながら、一向に車に戻らず、川西らをいらいらさせるあたりを含め、やはり深作は、映画が<見せるもの>だということをよく知っている。この後、「仁義なき戦い」シリーズを撮っていくが、アクションシーンのみならず、人間と人間の相対する場面には、それがふつの家の中のことであっても、常に迫力をもっている。

ものを壊すシーンや、サブが三沢を殴り続けるシーン、ラストで三沢がサブを締め落とすシーンなど直接的な暴力シーンだけではない。柱にナイフを刺すシーンや、そのナイフをフレーム内に入れた三沢の顔のシーンなど、こうしたリアル感は随所に見られる。


三沢は前半、川西の言うことを聞く奴隷のような存在になっていた。子供にも、「弱虫!」と言われている。上野駅で、同い年くらいの男の子や、赤ちゃんの乳をやる母親の姿を見て、心機一転し、川西らに立ち向かうことを決心する。こういう心理の変化も、台詞ではなく、徹底的に映像のみで表現している。


言葉の羅列の多い映画のなかにあって、映画とは映像であることを貫いた監督魂を、後進の映画人はよく学ぶべきだ。


各シーンに効果的な冨田勲の音楽にも注目しておきたい。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。