監督:野村芳太郎、脚本:古田求、野村芳太郎、原作・脚色:松本清張、製作:野村芳太郎、杉崎重美、製作会社:松竹・霧プロダクション、撮影:川又昴、美術:森田郷平、照明:小林松太郎、録音:原田真一、編集:太田和夫、音楽:芥川也寸志、毛利蔵人、主演:桃井かおり、岩下志麻、1982年、127分、配給:松竹・富士映画
製作会社は、野村芳太郎が、松本清張とともに、1978年に設立した「霧プロダクション(霧プロ)」(1984年に解散)と松竹である。
富山県の新港埠頭で、猛スピードで走ってきた白い乗用車が、岸壁から転落する。二人乗っていたうち、女は助かり、男は死ぬ。死んだのは、地元の資産家、白河酒造の社長・白河福太郎(仲谷昇)で、助かったのは、娘くらいの若い妻・球磨子(桃井かおり)であった。
福太郎は、東京・新宿のキャバレーで知り合った球磨子と再婚していた。傷害などで前科四犯の球磨子は欲の深い悪女であり、地元での評判は悪く、白河家の人々や社員からも嫌われていた。事故後、警察が調べたところ、福太郎に、受取り総額3億1千万円の生命保険が掛けられており、受取人は球磨子であることが判明する。しかし、警察は、直接の物的証拠がないため、逮捕に踏み切ることができず、事故の状況を、地元新聞記者の秋谷(柄本明)に漏らすなどして、球磨子犯人説の世論を盛り上げていく。
ある日、球磨子自ら無罪を伝えるテレビに出演し、その番組を見ていた藤原好郎(森田健作)が、当日、現場近くでその車が脇を通るのを見ており、車は球磨子が運転していたことを目撃していたとして、球磨子は殺人容疑で逮捕される。白河家の顧問弁護士、原山(松村達雄)が、球磨子の弁護を辞退したので、矢沢裁判長(内藤武敏)の采配により、佐原律子(岩下志麻)が国選弁護人として選ばれる。・・・・・・
野村芳太郎が手がけた松本清張作品は、『張込み』(1958年)、『砂の器』(1974年)、『鬼畜』(1978年)、『わるいやつら』(1980年)、と続き、いずれもヒット作となり、本作品が誕生した。
野村芳太郎の脚本、川又昴の撮影、太田和夫の編集、芥川也寸志の音楽と、各分野のベテラン勢が集結しただけあり、過不足ない極めて充実した作品であり、エンタメ性もしっかり確保されている。桃井かおりは、自由奔放な悪女をみごとに演じ切っており、岩下志麻も、プライベートでは、夫と離婚した妻でもあり、一人娘とは調停で、ひと月に一度会うことに決まっているという、仕事に生きる女弁護士を、うまく演じている。岩下志麻が『極道の妻たち』シリーズに出るのは、このあとのこと(1986年 - 1998年)である。
ストーリー自体が興味深いが、何度も観てきてわかることも多い。
全くさりげないシーンの連続でも、そこを数回に分けてつなげていることがわかる。例えば、冒頭、海に落ちた球磨子が、事故に気付き、飛び込んだ釣り人らに助けられるシーン。海の中で球磨子の両側に釣り人がいるシーンだが、一気に岸壁のシーンに移さず、間にカットがひとつ、挿入されている。こうして、手間ひまかけることで、違和感のない映像のシークエンスが出来上がる。これは全く何気ないことであるが、観ている側に違和感を生まない、というのが、プロの仕事なのである。室内シーンの多い本作品では、カメラのフレーム、アングル、畳みかけが、功を奏している。
屋外シーンとして効果的だったのは、冒頭、二人の乗ったクラウンが、波打ち際を猛スピードで走っていくところだ。怪しげな曲を伴うこのシーンが冒頭にやや長めに入ることで、今後の展開のミステリアスな味わいを醸し出し、観客の関心を引っ張ることに成功している。公判ごとに、外の景色が映され、季節の変化を知らせている。転落実験など、めったに見られないシーンを入れたのも、エンタメ性を盛り上げるのに役立った。
山田五十鈴、三木のり平といったベテラン俳優を、短い登場シーンではあるが、観客の思惑とは違った扱いをしているのもおもしろい。短いシーンに大物を登場させるから、映像としても流れが締まるのである。
ラスト近く、球磨子と律子とのやりとりは圧巻だ。助けてもらった恩も忘れ、球磨子は、女としての佐原を罵る。律子は直前に、一人娘とは今後二度と会えないという覚悟を自らにしており、女としては傷心のさなかである。
「私はね、どんな悪くたってね、みっともなくたってね、人なんかかまってられないのよ。だけど、あたしはあたしを好きよ。あんたさあ、自分のこと好きだって言える? 言えないっしょ? かわいそうな人ね。」
犯罪もの、法廷もの、女の対決ものとして、一級の作品だ。
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