映画 『カット/オフ』

監督・脚本:クリスチャン・アルヴァルト、撮影:ヤクブ・ベイナロビッチュ、音楽:クリストフ・シャワー、マウルス・ロナー、主演:モーリッツ・ブライプトロイ 、ヤスナ・フリッツィー・バウアー、2018年、132分、ドイツ映画、R15+、原題:Abgeschnitten(=カットオフ、切断)


検死官のポール(モーリッツ・ブライプトロイ)は、顎が砕かれた女性の遺体を検視解剖するうち、砕かれた顎から頭部に無理やり詰め込まれた小さなカプセルを見つける。注意深くカプセルを開けると、中から紙切れが出てきた。顕微鏡で覗くと、そこには、娘のハンナの名前と電話番号が書かれていた。

万一のことを思い、すぐ電話すると、ハンナは、誰にも言わず、エリックという男の指示に従ってほしい、でなければ殺される、と言う。そのエリックに電話すると、エリックは出ず、リンダ(ヤスナ・フリッツィー・バウアー)という若い女が出た。リンダが言うには、エリックは死んでおり、すぐそばに、その遺体がころがっている、とのこと。

どちらにしても、アンナが何かの事件に巻き込まれた可能性があると信じ、ポールはリンダという女のところに急ごうとするが、リンダがいるのは遠く離れた場所にある孤島であり、しかも当日は嵐のような天候であった。・・・・・・


最後のシーンを除き、24時間の出来事を濃密な台詞とシーンの連続によって描いたサスペンスである。

基本軸は、ポールが、誘拐された娘ハンナを救出することにあり、前半は、物理的に現地に行けないため、電話で話したリンダに、エリックの死体を解剖するよう携帯電話一本で指図し、リンダがそれを実行するまで、後半は、インターンのインゴルフの運転する車に乗り、リンダに指示しながら、いよいよ現地に向けて、とりあえず船着き場まで車を飛ばすポールの必死な姿を描いている。


素早い映像のカットや、小まめな撮影と編集、散りばめられたエピソードや伏線は、2時間を超える映画としては、観る側に退屈を感じさせない。用意周到な脚本があってこそ実現している。

ところが、この用意周到な脚本が、詳細にできているだけに、サスペンスとしてもっと盛り上がってよい進行に水を差してしまっている。


映画の冒頭は、孤島のパブにいるリンダの話から始まるが、漫画家をめざしていると同時に、ややヤンキー風な雰囲気があり、しぶしぶながらも死体解剖を実行していく女の子ということに納得はできる。ポールがアンナを捜索するために、ぜひとも、カーナビの付いた車と運転手も用意する必要があり、早めにインゴルフを登場させておいたのも了解できる。

孤島の病院は、嵐のため、医師はだれもいないことにしておいたのも、了解できる範囲内だ。


ポールは、解剖した遺体から娘の携帯番号が出てきたことで、誘拐されたと思い、ハンナに電話して、やはり誘拐だと知る。直前にハンナと口論めいたやりとりをしたポールとしては、父親として、今すぐにでも助けに行かなかればならない、と思い、行動に移す。そこはいい。

では、なぜ、ポールは、エリックは死んでいるとリンダに言われ、その遺体に、娘が誘拐された手掛かりがあるはずだから、それを解剖してくれ、と、いま初めて話した他人であり医者でもないリンダに依頼したのか。娘が誘拐されたことで、大いに錯乱し、少しでも手掛かりになるものを、手当たり次第に見つけようと気が急いたからか。

ストーリーの始まるきっかけとなるこの部分が弱いので、そこから先は、いくらその後の出来事が詳細に語られていても、映像が苦労して撮られていても、映画の進行に寄り添って観ることができない。


娘を暴行され殺された同僚の医師イエンスが、強姦だけだと犯人が軽い刑になることが予想されるからと、ポールに、大金を払うから、娘の死体検案書を、犯人が重罪になるよう書いてくれ、と依頼するが、ポールは断る。これが、ポールの娘を誘拐するきっかけになっており、このイエンスも犯人の一味なのだが、それにしても、イエンスが、これだけのことで、同僚であるポールの娘を誘拐するほどの動機をもつだろうか。それなら、イエンスについても、その人格や性格が描写されていなければならない。

ラストの土壇場で、犯人が、一見、地上のどこかにまだいるかのような演出のあと、意外なところから現れる、というところも、まさに意外性を狙ったにしては、それまでの濃密な展開に照らし、相応でない。


全体に、実際に登場するシーンがわずかな人物を含め、登場人物が多過ぎる。もっと少ない人物数にすると、軽薄な仕上がりになると思ったのだろうか。ストーリーが濃密になったぶん、映画としてのおもしろさは半減してしまった。

監督が脚本を兼ねると、どうしても、台詞やシーンが多くなり、映画のエンタメ性が消え、メリハリ感も減少する。本作品では、人物が多過ぎるため、後半で真相を明らかにするところを、ポールの会話で済ませてしまっている。一方で、犯人一味の動機や性格描写はなく、片手落ちでもある。

やはり、本作品にも、何もかもできるだけ「削りたくない」という気持ちが、つんのめるように監督に作用している。


人物やストーリーを、もっと絞るか、概略的な話をもう一本の軸に据え、中盤から結合していくようなストーリーにできなかったものか。


解剖シーンはリアルに撮られ、俳優の熱演も見られるが、残念な結果となった。


リンダを演じたヤスナ・フリッツィー・バウアーは、かわいらしくきれいな女優である。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。