監督:ゲイリー・マッケンドリー、原作:ラヌルフ・ファインズ、 脚本:マット・シェリング、 音楽:ジョニー・クリメック、主演:ジェイソン・ステイサム、クライヴ・オーウェン、ロバート・デ・ニーロ、2011年、117分、米豪合作、原題:Killer Elite
元SAS(英国特殊部隊)隊員のベストセラー小説『フェザー・メン』を元に、かつて利権にからんでSASに息子3人を殺されたオマーンの首長が、殺し屋を雇ってその復讐を果たす。
タイトルの“殺しのエリート”とは、公にできない裏工作にも手を染めるSASとその息がかかったフェザー・メンなる極秘保安組織のことで、復讐は達成されたものの、映画そのものにはオチが付いている。
殺し屋稼業から足を洗ったダニー(ジェイソン・ステイサム)だったが、一年後に、昔からの殺し屋仲間であるハンター(ロバート・デ・ニーロ)が拉致監禁されていると知り、オマーンに飛ぶ。
ハンターは相変わらず殺しを請け負っていたが、依頼主はオマーンのある長老で、息子3人がSASに殺されたため、四男とともに復讐を企み、それをハンターに依頼したが失敗したため、ダニーが呼ばれたのであった。…
ダニーは依頼どおり、3人の息子を殺した人物を順に殺していくが、当然、SAS側からも狙われ、危険と背中合わせの仕事であった。長老は、息子たちを殺した犯人の自白がほしいということだったので、テープや写真を証拠として残していく。
とにかくテンポの早い映画だ。ストーリー展開も、わかるところはどんどん省略して進んでいくので、ぼけっと見ていると何のことかわからなくなるだろう。話はオマーン以外にも、ロンドン、パリその他あらゆる都市へ移動するので、めまぐるしい。
SASの話ではなく、それへの復讐という構図で進んでいく殺しの話だ。
サスペンス・アクションという、映画としてスタンダードな分野なので、ひと味違ったものをということで、早いテンポ、男臭い3人の男優、めまぐるしい場所の移動が選択されたのだろう。
ジェイソン・ステイサム主演だから、やはりアクションシーンは華やかで、考えられたこれでもかというアクションが見られる。
アクションシーンに限らず、全体にカットとつなぎがシャープで、技術的にとてもすぐれたつくりになっている。
冒頭の車の爆発にしても、映画のその道のプロがしかけただけに見事で、アクションシーンのほとんどが、見せるということについても、充分わかったつくりになっている。
ダニーの恋人役に、きれいな女優もときおり登場し、最後は二人が車で去るシーンで終わる。
一定のカラーがあり、大物俳優がみごとな演技とアクションをこなし、カメラもよく、ストーリーも最後にきてありきたりでなくなり、別に何も問題ないのだが、観ていてちっとも楽しくないのだ。
なぜだろう…。
おそらく脚本のせいだ、脚本の展開でなく、脚本を描くときの構図に原因があると思う。
例えば、同じデ・ニーロとアル・パチーノの出ていた『ヒート』(1995年)はおもしろかった。悪と刑事の対立構図があり、その悪にも刑事にも、それぞれいろいろな問題をかかえている。
こちらは、デ・ニーロとステイサムは殺しの友人であるというのが『ヒート』と正反対に違う。SASやその下部組織対ダニーとハンターの構図でなく、ダニーの独壇場になってしまったために、話が一本調子になってしまったキライがある。
国家の意志によって動く精鋭の隠密組織を敵に回している、という迫力が描かれきれていない。また、敵はイギリスという国家であり、その巨大な機構によって殺されたからといって、村の長老が復讐を殺し屋に請い願うところも、あっさりとしすぎている。
うがった見方であるが、初めに主演俳優ありき、映画の雰囲気ありき、で製作が進んだ映画のような気がする。なぜなら、その点では申し分ないからだ。
アクション映画は、アクションが派手で見せ場が多くなるだけに、ストーリーの幅は、もっとシンプルでいいのだ。話をでかくすると、アクションシーンだけがひときわ目立って、映画全体のエンタメ性を損なってしまうのだろう。
ただ、この二人には、殺しに仁義があって、必ずしも殺さず、足を撃ったり、ワケを説明して殺さないときもある。ラストで、金を目の前にしても、それをぶんどるということまでしない。
このあたりは、キャラクター描写としてユニークであるが、この仁義のありかたでさえ、かえって一挙に、実話を基にしたこの話が、架空のものであるかのような勘違いを、観ている側に起こさせてしまうのである。
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