映画 『コロンビアーナ』

監督:オリヴィエ・メガトン、製作:リュック・ベッソン、アリエル・ゼトゥン、脚本:リュック・ベッソン、ロバート・マーク・ケイメン、撮影:ロマン・ラクールバ、編集:カミーユ・ドゥラマーレ、音楽:ナサニエル・メカリー、主演:ゾーイ・サルダナ、2011年、108分、英仏合作、原題:Colombiana


1992年、南米コロンビア・ボゴタで、少女カトレア(アマンドラ・ステンバーグ)は麻薬組織のグループに、その両親を殺されてしまう。

カトレアは、死の直前に父に言われたとおり、シカゴに出て、ギャングとして生きる伯父・エミリオ(クリフ・カーティス)の家に身を寄せる。エミリオも、組織に息子を殺されていた。

15年後、カトレア(ゾーイ・サルダナ)は、美しくスマートなプロの殺し屋として成長していた。その技術を駆使して、両親を殺した者たちに復讐を果たそうとするのであった。

そこでカトレアは、組織のボスを表に出すために、組織の幹部クラスの連中を、順に鮮やかに抹殺していく。・・・・・・


リュック・ベッソンが、自らの作品『ニキータ』『レオン』を掛け合わせて作られた脚本をもとに作られた。

たしかに、あるところ『ニキータ』であり、あるところ『レオン』だ。


監督は『トランスポーター3 アンリミテッド』を撮っており、似たようなシーンや、シーンの変わるテンポもそれに似ている。TVシリーズの『スパイ大作戦』に似たシーンもあった。材料は出尽くしているのだろう。

冒頭、タイトルロールに合わせて、空撮によるボゴタの街が映される。このイントロはうまい。丘に貼りついたような家々に、わずかにモノクロの残酷な犯罪現場のショットを入れている。それにしても、圧倒的な家の数だ。軒を連ねていると言ってもいい。

それに続いて、カトレアの家に舞台が移り、少女のカトレアだけが取り残される。組織の男が、ひとり食卓に座るカトレアに尋問する。カトレアはおとなしく頷いたりしているだけであったが、男が肝心な質問に及んだ瞬間、テーブルの下に仕込んであったナイフで、男の右手を刺し、窓から脱出し、その後、家づたいに身軽に逃げ回る。

このシーン、『望郷』に出てくるアルジェのカスバに似ている。


少女の静から動へのこの落差が、いかにもベンソンらしくていい。この子役の演技も上手だ。追いつめられたかと思いきや、何とか逃れ切り、シカゴに向かう。

やがて時が流れ、大人の女としてのカトレアが現われる。

ここまでが25分だから、全体の4分の1を使っている。この前提部分に、今後のカトレアのキャラと復讐の動機が仕込まれている。


シンプルな展開を見せる脚本がよい。ツボを押さえておいて、そこに並行する挿話も明瞭だ。カトレアが単なる殺し屋ではなく、一人の女としての面をもつことを描写することも忘れない。

カメラはよく動くし、切れのいいカットをうまく編集して、画面の緊迫感が途絶えない。これは特徴的で、アクションシーンにしても、一つのシーンをわりと長めにしておく人と、このようにデキパキ進めていく人といる。好みの問題であり、脚本上の必要性もあり、どちらがいいとは言えない。


シーンの材料は出尽くしていても、その撮り方や演出で随分変わるし、そこに作品や監督の個性を見ることができる。車同士のぶつかりかたや、アクションシーンでの絡み方は、それぞれくふうがあっておもしろい。

終盤、やや強引なストーリー展開となっているが、エンタメ性も充分で、アクションシーンも充実しており、映画としてすばらしいと思う。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。