監督:大友啓史、原作:東野圭吾、脚本:浜田秀哉、撮影:佐光朗、編集:今井剛、美術:橋本創、録音:湯脇房雄、照明:渡部嘉、音楽:澤野弘之、主演:二宮和也、豊川悦司、2012年、134分、東宝。
連続幼児殺害事件は、プラチナデータによるDNA捜査で、一気に犯人が特定され捕まった。この流れがイントロで10分流されてからタイトルが出る。
人間のDNAから、その年齢、顔かたち、足のサイズまで割り出し、その家族・親類までも特定することができる。膨大なプラチナデータのファイルから、特定の人物を割り出し、犯人像と照合して一致すれば、それが間違いなく犯人ということになる。
顔と全身のモンタージュを作り、監視カメラから照合する顔を取り出せば、どこに犯人がいようとも、どんな凶悪犯でも場所を特定し、捕まえられるというものだ。
その研究開発の指揮をとっているのは、冷徹で優秀な科学者・神楽龍平(かぐら・りゅうへい、二宮和也)であった。が、その方法は違法であった。
現場に残された指紋から、どうやって特定の人物にたどりつけるか…一般人のDNAは赤ちゃんとして誕生したときの採血、献血、学校検診などから採取され、集められた膨大なDNAは、国家の監視下に、厳格に保管される。
犯罪が起きれば、無数に設置された監視カメラと、データを照合させ、犯人の居場所まで特定できるという優れものだ。
政府が、もうすぐ、こうしたDNA採取と保管が合法となるよう立法化を進めている。
ある晩、巨大な病院のVIPルームで、二人の患者が殺された。二人は兄妹、蓼科耕作・早樹(水原希子)で、どちらも、殺されたあと、肋骨を一本ずつえぐりとられていた。
廊下に設置してある無数の監視カメラには、ひとりの男の姿があった。その病室に出入りしていたのは、ほかならぬ神楽であった。
刑事・浅間玲司(豊川悦司)らは、DNA捜査システムを駆使して、神楽の行方を追う。DNAシステムを開発した神楽自身が、そのシステムによって追跡されることになったわけだ。
しかし、浅間たちが現場に到着しても、すんでのところで逃げられてしまう。
自分が犯人でないことを知っている神楽は、逃走中に「真の」プラチナデータが他に存在することに気付く。
神楽は、逃走しながらも、別にあるプラチナデータのありかを追求することになる。・・・・・・
バカにしていたが、娯楽作品としてまあまあ楽しめる。
脚本が、きちんと整理されて、タイミングよく過去の話や心のうちが描かれるのがよかった。
神楽が実は、父が死亡したときのショックで、二重人格をもつことになる。龍平のもうひとつの人格は「リュウ」であり、リュウと早樹との心の交流が、逃走劇と並行して描かれる。
逃走中に、浅間は神楽と組んで、殺人事件だけでなく、DNAシステム開発に至る真実をつき止めようとする。
一度、2017年3月と画面に出るが、いかにも近未来を描く作品らしく、全体に明るい色が使われず、主な舞台となる研究所のなかなど、ハイテク装備を含め、寒々とした印象を与える。CG、VFX、ホログラフィックがふんだんに使われ、DNAシステムがリアリティをもって迫ってくる。
豊川悦司の刑事役は、『犯人に告ぐ』(2007年)のとき同様、とても刑事に見えないが、彼らしい持ち味は出ずじまいであった。こういう作品であるからしかたない。
ただ、逃走シーンや屋外シーンでの存在感はあり、テーアや室内の多い撮影を考えると、肉体的存在感でバランスをとれる俳優がいないと安定が悪くなる。
二宮和也は『青の炎』(2003年)では、屈折した高校生を演じ、みごとであったが、豊悦といっしょで、そんなに彼らしい個性が発揮する場のない作品であった。
ただ、リュウになったときの表情や話し方は、だいぶ研究したようでよかった。
突っ込みどころもあるが、そこそこ楽しめる作品となった。
テーマや設定からして、演技力のある俳優が必要だったとは思われない。
人気ある作家の原作を映画化し、人気のある二人を主役とし、薄幸な女たちに人気モデルを使うなどして、製作側の電通や東宝の狙い通りにヒットした作品だ。
もう一度観ようという気にはならない。
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