監督:土井裕泰(どい・のぶひろ)、原作:東野圭吾、脚本:櫻井武晴、撮影:山本英夫、編集:穂垣順之助、音楽:菅野祐悟、出演:阿部寛、新垣結衣、中井貴一、2012年、129分、東宝。
前から気にはなっていたが、主演の阿部寛、中井貴一、溝端淳平の三人とも嫌いなので、敬遠していた。実際、あまりい演技をしているとも思わない。
むしろ、脇を固める俳優陣と、みごとな脚本によって救われている。
原作がおもしろく、脚本とカメラがしっかりしていれば、出演者が大根でも、みごとな出来栄えになるという見本だ。
日本橋の欄干にある麒麟の像のそばで、初老の男が、腹にナイフを突き刺されて倒れる。
捜査本部では二人の刑事、加賀( 阿部寛)と松宮(溝端淳平)が中心となって、聞き込みを始める。
事件直後、現場近くから、八島冬樹(三浦貴大)は、同居する中原香織(新垣結衣)に電話をし、「大変なことをしてしまった」と話すが、警官に見つかった八島は逃走し、トラックにはねられてしまう。・・・・・・
原作は、東野圭吾の書き下ろし小説である。
原点に忌まわしい犯罪があり、それを世間に知られることなく、苦しみとともに背負っている人々が、ある一件を契機に、今になって、その過去を暴かれていく。
この作家の作品はこういうものが多いのだろうか。
映画化は難しいと言われていた。小説をを映像にするのは、何でも難しいだろうが、ストーリー仕立てのものをそのまま時間を前後させるなどすれば、脚本は何とかなるのだろう。
問題は、心理ドラマのウエイトが高いこうした作品などは、そこまできちんと映像化できるかが、監督の腕なのだ。
この映画を観終わって、同じ原作者の映画『白夜行』を思い出した。
同じような流れをもち、小出しにされていた不審や疑惑は、細やかな枝葉もきちんと回収されるなど、本作も『白夜行』と似て、まずまずの出来ではあると思う。
だが、これだけ似たような作品でありながら、『白夜行』と違う何かを感じずにはいられなかった。
カットも細かく切り、うまく編集してあり、脚本もカメラも充分に的確に動いている。技術的に特に問題もなく、そういう点で批判するところはないのだ。
そこで、二人の監督について調べてみた。『白夜行』のほうは、その日記のときに書いていたが、監督について再度調べ比較してみた。
『白夜行』(2011年、配給:ギャガ)の監督は深川栄洋(ふかがわ・よしひろ)が34歳のときの作品であり、こちらは土井裕泰が47歳のときの作品だ。
年齢はあくまで参考だが、この二人には、背景に大きな違いがある。
深川栄洋は、東京ビジュアルアーツ映像学科映画演出専攻出身で、自主制作映画や短編映画を監督し、監督としてのメジャーデビューは30歳ころである。
土井裕泰は、早大在学時、劇団で活躍し、現在、TBSに在籍するテレビディレクターで、当然、テレビ作品が多い。こちらの映画の配給は東宝である。
私は両者ともに原作を知らないし、『白夜行』でも、不可解で行き届いていない描写もある(ラスト近く、刑事が亡き息子の姿を犯人の男に重ねて慟哭するあたり)が、映画というものの味わいや余韻を残している。女児への姦淫が、ストーリーの根底にある。
本作は、プールでの事故とその関係者の負い目がストーリーの軸であって、刺された男の公私の生活をうまく交差させているが、誰かにせっつかれた書き下ろし作品なのか、小手先仕上げのようなストーリーであって、計算問題の答え合わせをしているようで、映像化されたにしても充分に楽しめないのだ。
でこぼこは平にする、散りばめた不審物は回収処理する、ここはカメラをこう動かす、・・・といった基本はみごとにきちんとしているが、それだけに、喩えれば、きれいなカラーの昆虫図鑑の写真を見ているようで、昆虫そのものがいないのだ。
内容の重さに違いがあり、一概に比較できないのだが、この二作品だけなら、間違いなく『白夜行』に軍配を上げる。
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