映画 『泥の河』

監督:小栗康平、原作:宮本輝『泥の河』、脚本:重森孝子、撮影:安藤庄平、編集:小川信夫、照明:島田忠昭、美術:内藤昭、音楽:毛利蔵人、主演:田村高廣、藤田弓子、朝原靖貴、桜井稔、1981年、105分、モノクロ、東映セントラルフィルム。


1981年度キネマ旬報で1位に輝いた作品であり、国内外から高い評価を得た秀作である。

それはそれとして、実に印象深い作品として、心に刻まれてきた。

小栗作品はすべて映画館で観ているが、本作品は中でも印象的な作品であり、いつかDVDで観られれば、と願っていた。

かつて観て感動した映画が、その後だいぶ経って観ても同じように感動するかはわからない。その逆もある。

そして、いつ観ても同じ味わいをもつ映画こそ、その人にとってお気に入りの映画になる。

これもそんな映画であった。


戦後10年を経た大阪の土佐堀川の岸辺に、小さなうどん屋がある。

小3の板倉信雄(朝原靖貴)は、父(田村高廣)・母(藤田弓子)と暮らしており、目の前の河は日常の光景の一部となっている。

ある日、同じ年くらいの少年と、そばの橋の上で知り合うが、少年は、河の反対側に繋留されている舟で生活していた。

その少年・松本喜一(桜井稔)と仲良くなり、信雄が遊びに行くと、そこには喜一の姉・銀子(柴田真生子)がおり、舟の中に下りると、中には、タンスなどの家財道具がひしめいていた。

仕切られた板塀の向こうには、二人の母親がいるようだ。

向こうから、母親(加賀まりこ)が銀子に言う声が聞こえた。「黒砂糖をあげて帰ってもらいなさい」

信雄はこれらのことを両親に話した。父によれば、あの舟は宿舟(やどぶね)と言い、そこで生活するための舟であるという。実は、姉弟の母は、夜になると、男を客にとっていたのである。

うどん屋に来る客は、これを廓舟(くるわぶね)と呼んでいた。・・・・・・


故意に白黒で撮影したのは、昭和30年当時を考えてのことだろう。

冒頭からしばしば、人が死ぬ。三人の子供が主役とも言えるこの映画でありながら、常に死のイマージュが画面に漂っている。

戦争の記憶も時折語られる。長口上ではないものの、セリフの中にあって、そこだけは生々しい印象を与える。


姉弟が食事に招かれ、信雄のうちに来る。事態を知る両親は、二人を暖かく迎える。

母は、とってあった子供用のワンピースを、銀子にあげるつもりで、二階で着せ替え、下りてくる。

ところが、銀子には笑顔はない。

食後、元気な喜一は、歌が自慢だというので、歌ってもらうことにする。どんな歌を歌うかと周囲が楽しみに耳を傾ける。

「此處は御国を何百里、離れて遠き滿洲の、 赤い夕陽に照らされて、友は野末の石の下」・・・「戦友」であった。亡き父がよく歌っていたというのだ。


銀子は着替え、着せてもらったワンピースを丁寧にたたんで、信雄の母に返し、二人は礼を言って去っていく。

何ともやりきれないシーンだ。


もうひとつ印象的なシーンは、これはよく覚えていたのだが、喜一が自分の秘密を見せてやる、と言って、夜、信雄を舟に連れていくところだ。

河に突っ込んであった木の枝を引き上げると、そこには、小さなカニがいっぱいくっついており、枝を振ると、床にカニがたくさん落ちた。

おもろいことをしてやる、と言って、喜一はランプのアルコールを湯呑に移すと、そこにカニを入れる。次にカニを出して、その甲羅にマッチの火を点ける。カニはしばらく燃える。

真っ暗ななかに、カニが火を上げて歩くのだ。

信雄は、やめなよ、と言うが、喜一は、またもう一匹に、同じことをした。


火をともしたまま歩いていくカニを、かわいそうに思ってちょっと追ううち、自然と隣のへやの中を見てしまう。そこには、男とまぐわう喜一の母の姿があった。

子どもの純真さと裏腹にある残酷さは、いとも簡単に純真さの延長線上に現れる。

それはまた、無意識のうちに、やむを得ず母のしていることに抵抗する気持ちの現われようなのだろうか。


死の影が揺曳(ようえい)する家族の暮らし、貧しいなかで何とか生きる親子、・・・しかしここに、世の中に対する批判めいたセリフなどはない。

少年少女といえども、死や貧しさ、大人の生業(なりわい)のなかに投げ入れられ、そこで、河に流されるように、静かに淡々と生きている。


しかし、子供の視線や表情は、子供らしさを失わないまま、そのつどの状況に鋭く反応する。といって、何かにうったえたり叫んだりはしない。経験した光景をもって、反省材料として明日に向かう、などという教訓を習うわけでもない。


ある朝、喜一の舟は、曳航されていく。喜一たちからは、何の挨拶もなかった。

初め、ぐずっていた信雄は、その舟を追いかけていく。きーちゃん、と叫んでも、舟からは何の声もなく、河を行くだけであった。


戦後日本の庶民の生業を、子供の視点を絡めて描き切っている。

セオリーでなく、情緒や出来事で、人々の感情を炙り出していく。

やりきれない思いを誘う作品だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。