映画 『鑑定士と顔のない依頼人』

監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ、撮影:ファビオ・ザマリオン、編集:マッシモ・クアッリア、音楽:エンニオ・モリコーネ、主演:ジェフリー・ラッシュ、ジム・スタージェス、シルヴィア・フークス、ドナルド・サザーランド、2013年、124分、イタリア映画、原題:La migliore offerta、英題:The Best Offer


『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年)『海の上のピアニスト』(1999年)など秀作で知られるジュゼッペ・トルナトーレが監督し、この二作品でトルトナーレと組み、『遊星からの物体X』(1982年)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)などで知られる大御所、御年85歳のエンニオ・モリコーネがタッグを組んだとなれば、観ないわけにはいかない。

たったそれだけの情報で観たので、まさかこの作品が、ゆるやかなどんでん返しを招くミステリータッチの映画だとは思わなかった。


巨大な屋敷に住む若い女性クレア・イベットソン(シルヴィア・フークス)が姿を現すのは、ようやく中盤に入ってからである。タイトルの所以である。


ヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)は、美術品の鑑定士であり、仕事はそこそこ順調に行っていたが、女性には晩熟(おくて)であった。

ある日、ヴァージルのもとに、電話で、鑑定の依頼が入る。さっそく依頼主の邸宅に行くが、依頼主クレアは、初め、姿を現さなかった。

あるとき、屋敷から出るふりをして、大きな彫像の陰に隠れると、あたりを見回しながらクレアが現れ、遠目に初めて、その顔と姿を見るのであった。・・・・・・


この映画については、さすがに詳細を書かないほうがいいだろう。

クレアとひと晩を過ごすまでになった老齢のヴァージルは、最後、ゆるやかに裏切られてしまうのだ。


独身を貫き何点もの美しい女性の肖像画を愛の対象としていたヴァージルは、その多くの高級な肖像画に替えて、ようやく実在する若く魅力的なひとりの女といっしょに棲むようになったのも束の間、外国出張中にもののみごとに女は姿を消し、秘密のへやの肖像画はすべて持ち去られてしまうのだ。


ラスト近くは、すべてを失って、心虚ろになり半ば精神の崩壊したようなヴァージルが現れ、何ともミゼラブルな姿で、気の毒に思ってしまうくらいだ。

おじさんよ、いい気になるなよ、上ばかり見ていると足元の大きな穴にはまりまっせ、と言わんばかりの声が、スクリーンの奥から聞こえてきそうな結末だ。


似た傾向のミステリアスな作品は他にもあるに違いないが、この作品には、さすがに華麗なる作品を生み出してきたトルナトーレらしい個性がある。

骨董品、古美術品、絵画などを初め、それにふさわしい机、衣装、建物、レストランなどが、常に画面にあり、高級感を高めてくれる。


内容柄だろうが、曇った空や雨のシーンも適切に配分され、屋敷内なども全体に暗さを保っている。その屋敷も、巨大な牢獄のようであり、いくつもの窓があるほかは特徴もない。庭の草は生え放題で、むしろ巨大な廃墟のような様相を呈している。

そうして出来上がった舞台に登場するのは、一見何でもない登場人物たちであるが、終わり近くになると、それぞれが一挙に、真の姿を現す。ただスクリーンには現れない。ストーリー展開として、観る側が、そうだったか、と真の姿に気付くのである。


観ていくうちに、よくよく観ていれば、いや、ふつうに観ていても、あれ?と思うようなシーンが出てくる。

あの下僕は、あの屋敷で長い間働いているのに、それでもクレアの姿を見たことがないと言う。

屋敷の向かいにあるバーは、ヴァージルが雨宿りをきっかけによく寄るようになるのだが、入口にはいつも、手足の短い不具の女性がいて、意味不明の数字を呟いている。

ヴァージルの知人で機械職人ロバート(ジム・スタージェス)は、仕事を依頼にくる若い女性客には、別れ間際にそのつどキスをするほどで、複数の女の子と付き合っているように見えるが、本当の恋人は最初に出てくる黒人の女性である。

こうしたロバートの存在は、単にヴァージルの仕事仲間を越え、ヴァージルに、若い女性との付き合いを勧めるような雰囲気を醸し出すよう作用している。


几帳面で潔癖な老紳士は、何とも大掛かりな罠にはまってしまった。

憐れむべきか、滑稽なことと笑い飛ばすか、観た人によってさまざまだろう。


時計や歯車だらけの奇妙な喫茶店の奥に座り、おひとりですか、と聞かれると、もうひとり来る、と答える、給仕はテーブルに、もう一人分の食事の用意をして去る。

まだクレアの登場を夢見ているような、あるいは、それはありえないとわかっていながら、あたかも不在の恋人と食事をするかのようなヴァージルの姿から、徐々にカメラは引いて、ラストとなる。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。