監督:ヴィクター・フレミング、製作:ルイス・D・ライトン、原作:ラドヤード・キップリング、脚色:ジョン・リー・メイヒン、マーク・コネリー、デイル・ヴァン・エヴェリー、撮影:ハロルド・ロッソン、編集:エルモ・ヴェロン、美術:セドリック・ギボンズ、音楽:フランツ・ワックスマン、主演:スペンサー・トレイシー、フレディ・バーソロミュー、1937年、115分、モノクロ、原題: Captains Courageous、配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
『紅塵』(1932年)で知られるヴィクター・フレミングが、『風と共に去りぬ』(1939年)、『ジキル博士とハイド氏』(1941年)の前に撮った作品。原題は上記のとおりであるが、日本には「我は海の子」という有名な童謡もあって、邦題をこのように付けたのだろう。
大富豪で実業家のフランク・バートン・シェイン(メルヴィン・ダグラス)の小学生の一人息子ハーヴェイ(フレディ・バーソロミュー)は、親の実力をひけらかし、自分の利益のためには嘘をつき、何でもカネで解決してしまおうとする一面をもつ、ドラ息子になっていた。いよいよクラスメートからも愛想を尽かされてしまう。
学校から停学処分を受けたのをいいことに、フランクはハーヴェイの望みどおりに、所有する豪華な船で船旅に出る。ある日ハーヴェイは不注意により、船から海に落ちてしまう。そこへ漁師のマヌエル・フィデロ(スペンサー・トレイシー)が通りかかりハーヴェイを救う。マヌエルの舟は大型の漁船から派遣された舟であり、漁船には大勢の仲間の漁師がいた。
ハーヴェイはそんな中でも、父親の向かった港へ向かってほしいと言うが、漁の最中であるマヌエルたちは耳を貸さない。あまりにわがままなハーヴェイはお仕置きを受けるが、マヌエルはハーヴェイに親身に接していく。やがてハーヴェイはマヌエルの言うことを聞き始め、甲板の掃除をし、マヌエルの舟に乗って、一本釣りまで手伝うようになる。・・・・・・
ハーヴェイが船から転落するまでと、陸に上がってからの出来事に挟まれた海の上のシーンが中心となるが、そこでのカメラワークやセット、編集が実にみごとだ。マヌエルとハーヴェイの関係は、次第にあたかも親子のような・師弟のような間柄へと移行していくが、そのプロセスに挟まれるさまざまなエピソードや、ちょっとした小道具の扱いもうまい。マヌエルは楽器を奏でながら海の男の歌を歌うが、初め無関心であったハーヴェイも、その詞の意味に耳を傾けるまでになる。
マヌエルはマストが倒れた事故で海に落ち、身動きできなくなる。漁師の仁義で、船長がある部分のロープを切断すると、マヌエルはそのまま海に沈んでいく。これら一連のシーンを目の当たりにし、ハーヴェイがマヌエルの名を絶叫して呼び続けるシーンは圧巻だ。
本作品のストーリーを厚みあるものとしているのは、漁師たちの漁のようすや、船に上げられた魚の解体、漁に必要な多種類の道具などが、それをやりこなし使い回す人間たちとともに丁寧に映像に刻み込まれているからである。また、カメラが引いて、帆船全体を穏やかに撮るかと思えば、マヌエルの乗る漁船とライバルにあるグループの漁船が競争して進むときなど舳先が大きく揺れるシーンを入れるなど、映画でしか捉えることのできないカットがふんだんに盛り込まれていて飽きない。
ハーヴェイは、マヌエルの活躍したこの漁師町に住みたいと言い出すが、最後は父フランクとも打ち解けて、漁で亡くなった人々に哀悼を捧げるための儀式に参列し、目の前の海に、花輪を手向けるのである。
ノーベル文学賞受賞のラドヤード・キップリングの原作を、三人の脚本化が脚色し、細大漏らさぬ映像展開で知られるヴィクター・フレミングがメガホンをとり、結果的に、スペンサー・トレイシーはアカデミー主演男優賞を受賞した。音楽は、後に『レベッカ』 (1940年)『ジェキル博士とハイド氏』(1941年)『私は殺される』(1950年)『サンセット大通り』(1950年)『陽のあたる場所』(1951年)などで知られることになるフランツ・ワックスマンが担当している。
今回初めて観たのだが、日本でいえば昭和12年に、米国ではこのような名作が作られていたと思うと、複雑な思いに陥る。
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