監督・脚本・編集:主演:チャールズ・チャップリン、撮影:ローランド・トザロー、ゴードン・ポロック、音楽:アルフレッド・ニューマン、チャールズ・チャップリン、1931年(昭和6年、日本での封切は3年後)、86分、モノクロ、サイレント、原題:City Lights
昭和6年といえば満州事変の起きた年であり、87年前の映画である。
この間、この映画も一時期封印されたが、70年代にリバイバルブームが起きたそうで、それ以降はいろいろなところで観られるようになった。
チャップリンはお決まりの浮浪者(男)で、自殺を助けた金持ちの紳士と友達になる一方、道端で花を売る盲目の娘と出会う。
貧乏なその娘とその祖母が、家賃が滞ってアパートを追い出されそうになると、彼は紳士からもらったカネを持って、娘のアパートに行き、家賃と、目を見えるようにする手術代に当てるようにと言い置いて、去っていく。
いろいろあった末、男は捕まり、半年後に街に出てみると、娘は街角で、立派な花屋を開いていた。祖母の着ている服もきれいなものとなり、人まで使うようになっていた。・・・・・・
喜劇王チャップリンの映画には、ピリっとした風刺や皮肉がこめられているものが多いが、この映画では特に、体制批判も制度批判も出てこない。
むしろ、一階の浮浪者と貧困な娘や老婆とのやりとりを軸に据えることで、人間の思いやりや淡い恋を描いている。
ラストは感動的だ。花屋の前を通った男は、店にいるのが自分が救った娘であるとわかる。盲目であった娘は、それとは知らず、目の前のあわれな浮浪者に、小さな花一輪と、硬貨を一枚恵もうとする。
花は、茎を持って受け取ったが、娘はその男の手を取って、硬貨を握りしめさせる。
そのとき、手の感触から、娘は、この男が、自分の恩人であることを知り、あなたでしたのね?、と言い、男は笑いながらうなずく。
そして、さっと終わる。
全く、このラストシーンのためにだけ、娘を盲目に仕立てたのかと思われるほど、感動のシーンである。
無声映画だから、音声は最低限のものしか入らず、言葉が画面に出るときも、限られている。
ストーリーとしても実にシンプルで、大筋をはずさない範囲で、充分に楽しませ笑わせてくれる。
こうした味わい、いま風に言うなら「テイスト」とでもいうものが、こんな昔にすでにスクリーンで披露されていた。
これを日本人が参考にするのはよいが、そのままマネをしても始まらない。
換骨奪胎して、たとえば、伊丹十三や森田芳光のような作品が生まれたとも言える。
笑いも涙も、万国共通だ。ならば、そろそろ言葉だけで語る映画(これは映画とは言えない!)から、映像だけで語らせる映画が生まれてきてもいいだろうに。
アメリカ映画もそうだが、日本の映画も同様で、作り手に、想像力がなくなってきてしまったのではないか。
おまけに、映画を観ることなく映画を作ろうとしても、タカが知れている。
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