監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール、原案:フランソワ・トリュフォー、撮影:ラウール・クタール、編集:セシル・ドキュジス、リラ・ハーマン、音楽:マルシャル・ソラル、主演:ジャン=ポール・ベルモンド、1959年、90分、モノクロ、フランス映画、原題:À bout de souffle / Breathless(息切れ、息つくひまもない)
ミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)は、マルセイユの港で高級車を盗み、パリへ向かう途中、追いかけてきた白バイ警官を、車にあった拳銃で射殺してしまう。
パリへ来ても文無しのミシェルは、アメリカ系新聞社のスタッフの仕事をしているアメリカ人・パトリシア(ジーン・セバーグ)と会い、自由な時間を過ごすが、パトリシアは仕事場に来た刑事から、ミシェルが指名手配されている新聞記事を見せられ、ミシェルと一緒にいるとき、警察に知らせてしまう。
ミシェルは追いかけてきた刑事に撃たれ、路上に倒れる。・・・・・・
あまりにも有名な、いわゆるヌーベルバーグ作品であり、まさにその嚆矢(こうし)ともされる作品。
ヌーベルバーグ作品は広義には、従来の照明・美術などを念入りに準備するスタジオ撮影に対しロケ撮影を中心とし、別に録った音声をあとから映像にかぶせる音入れに対し撮影現場での同時録音を好んで使い、固定カメラよりハンディカメラを多用する、念入りに考え抜かれた演出ではなく即興演出を多用するなど、フランス映画界において1950年代から始まり1960年代後半には消えていった、当時としては新鮮な映画技法群をさす。
消えていったのは、他の映画にこうした手法が取り入れられるのが一般的になったからであり、否定されたわけではない。
アラン・レネに代表されるような、いわゆるドキュメンタリー映画の技法はまさにこれであり、ドキュメンタリー映画といえないものにも多用されるこの前衛的技法に、他の映画人から反論が多かったのも事実である。
この作品にはさらに、ジャンプカットが頻発する。わかるところはカットを飛ばして、編集でつなぐというものだ。流れがわからなくならないかぎり、この方法がとられている。
他にも、それまでではありえないようなことが多く見られる。
冒頭、ミシェルがパリに向けて車を運転しながら、カメラに向かって、つまり観客に向かって話すカットがある。
レストランで、カメラが、階段を下りてくるパトリシアを追う途中、壁にある鏡に椅子に座ってハンディを回しているそのカメラマン自体が一瞬映るが、ここはカットされていない。
全般に、ほとんどハンディカメラを使っているので、固定カメラに慣れている目にはだいぶ疲れる。
ミシェルとパトリシアのやりとりが何ヵ所かあるが、映画中盤のパトリシアの部屋での会話模様は、全編とのバランスからして、極めて長く、また長回しも多い。
いかにもヌーベルバーグの個性を見せんとするばかりに、パトリシアが作家を取材するシーンには空港ビルの屋上が選ばれ、作家と記者の問答に、平然と飛行機の離発着の音などが入る。普通ならこれはノイズとなるから、編集段階で飛行機の音を小さめに入れ、人間同士のやりとりを鮮明に入れるところだ。
パトリシアが新聞社の男と話すときには英語が入るため、そこにはフランス語の字幕が出る。
結果的には、予算が少なくて出来上がることになる。
この映画は、ストーリー自体はたいしたことはない。撃ち合いなどのシーンもアクションもなく流麗なカメラ撮りが楽しめるわけでもない。
二人の会話シーンにしても、切実な内容ではなくバカげたものであり、間を置かないため冗長に聞こえる。カメラのアングルやフレームなどに特筆するものや工夫もなく、脚本・絵ともに、大変陳腐である。
まあしかし、今では陳腐な技法が、半世紀前には画期的だったのだ。
ストーリーは確かにあってないようなものではるが、二人のこのバカげたやりとりやいちゃつき合いでさえ、映画として作ってしまう勢い、つまらない描写そのものを、映画のシーンに招き入れてそれを全編の中心に据えるような試みもまた、この新たな波ならではのアイデンティティなのだろう。
製作のポリシーである自由であること、奔放であることは、その後アメリカなどにも波及し、アメリカン・ニューシネマの波を起こしたとされ、ボニーとクライドの『俺たちに明日はない』(1967年)『イージー・ライダー』(1969年)に象徴されるような作品群を産んでいく。
日本ではATG(日本アート・シアター・ギルド)が、この潮流を受け継いでいると考えられる。
こういうわけで、この映画は、そういうフランス映画史のもとでのみ評価される作品であって、映画そのものに味わい深いものは特にない。
おそらくこれは製作当時も同じであって、製作側も、何も味わい深いもの、などと評価されようとする発想は、最初からなかったのだろう。
個人的には、好きな作品ではない。
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