映画 『鬼婆』

監督:新藤兼人、脚本:新藤兼人、撮影:黒田清巳、編集:榎寿雄、美術:新藤兼人、松本博史、音楽:林光、主演:乙羽信子、吉村実子、佐藤慶、1964年、103分。

『どぶ』(1954年)と並ぶ新藤兼人の代表作である。 


南北朝の戦乱の世、都の近くを流れるある河のほとり。背丈以上も葦やすすきの生い茂るなか、草木でできた粗末な家に、二人の女が暮らしていた。

中年の女(以下、女、乙羽信子)とその息子の嫁(吉村実子)は、逃げてきた落武者を殺しては、死体を草むらのなかにある大きく深い穴に捨て、取り上げた甲冑や刀剣を盗み、牛(ウシ、殿山泰司)に売りさばいて生計を立てていた。

そこへ、戦乱から逃げてきた八(ハチ、佐藤慶)がやってきて、女に、おまえの息子は死んだ、と伝える。

やがて八は、しきりに嫁を誘うが、女の目があり、逢うことができない。


ようやく女の寝ているすきに、嫁は抜け出し、八の元に駆けていき、互いにむさぼり食うような情交にふける。

それを知るや、女は自身も生身のからだの欲情を否定できず八に詰め寄るが、軽くあしらわれ、嫉妬にかられ、嫁に、死んだとはいえ、おまえは息子の嫁であり、人の道にはずれたことをすれば、地獄に落ちる、などと説諭する。

それでも夜になると嫁の八に対する欲情はあらがいがたく、嫁はまた八のところへと急ぐ。

 

ある晩、嫁が抜け出したのを知り、後を追おうとすると、女の家に甲冑に身を固め、さらに鬼の面をつけた武将(宇野重吉)がやってきて、道案内をしろという。途中、大きな穴に武将が落ちて死ぬと、女はその面を剥ぎ取り、それをつけて、夜這いに行く嫁の前に立ちふさがる。・・・・・・


嫁を脅しても、台風のなかで抱き合う二人を見て女は諦めるが、今度は自分の顔から面がとれなくなり、嫁に謝ってとってもらうと、嫁は悲鳴をあげた。下から現れた女の顔は、醜くただれ、本物の鬼のようになっていたからである。

 

時代背景や、鬼にまつわる故事は最低限に抑えてある。つまり、この映画で新藤が描きたかったのは、自然に発露する男女の情欲であり、人を平気で殺して衣類を剥ぎ取る、欲にかられた本能的な人間の業の姿であった。

 

吉村実子もそうだが、乙羽信子が乳房をさらすのはこの映画くらいだろう。

夏、草いきれのする葦やすすきの群生、女の強烈なメイク、…悪の権化のような女と、飢えた体をもてあまし、やがて男との情交に溺れる嫁、二人の出る舞台は整っている。

 

嫁が身悶えるとき、それらしいからだの動きを撮らず、寄り気味のカメラで、揺れる葦の葉を映す。ゆらゆら揺れる葦は、女体の情欲のメタファだ。嫁が八の元に走るのを知り、女もうずいたからだを木に押しつけて悶える。この木はもちろん男根の象徴であるが、カメラが上にパンすると、背の高いその木は枯れ木で、上のほうが枝分かれしている。この木の演出はうまい。

 

この映画では、林光の打楽器主体の音楽が、映像効果を増している。

ちなみに、林は日教組の下部組織にいたこともあり、三一書房から本を出すなど、いわゆる左系の作曲家だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。