監督・脚本:周防正行、撮影:栢野直樹(かやの・なおき)、美術:部谷京子(へや・きょうこ)、編集:菊池純一、音楽:周防義和、主演:加瀬亮、2007年、143分、配給:東宝
フリーターの金子徹平(加瀬亮)は、就職試験の面接に向かうため、朝のぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗り込む。いちばん最後に押し込まれたため、上着の裾がドアに挟まれ、それを引き抜こうともがいた。突然、やめてください、という女性の声がし、次の駅でドアが開くと、徹平は一人の女子中学生に袖を掴まれ、痴漢ですと言われ、駅員や他の乗客に同道されて駅事務室に向かう。警察に連れて行かれ、仮に無実の罪でも示談にすればすぐに出られる、という刑事・山田(大森南朋)の言葉に対し、一貫して痴漢行為を否認する。しかし結果的に、起訴されてしまう。
友人・斉藤(山本耕史)のツテと母(もたい・まさこ)の努力で、弁護士・荒川(役所広司)と須藤(瀬戸朝香)に行きつき、公判を迎えることになる。・・・・・・
着眼点がよかった。法廷ものであり、痴漢事件や痴漢冤罪事件が注目され始めたころの話でもあり、扱っている内容からして有利な映画であった。
一般に、犯人を追う、行方不明者を探す、真実はどうなのか、というドラマは、それ自体が<追っかけ>の内容となり、初めから観客を牽引する要素をもっている。よほど下手な脚本にしなければ、平均以上のエンタメ性は保証されている。二つの軸を揺れ動かなくても、一本の幹に多様な枝葉をつけることで、そのつけかたを誤りさえしなければ、そこそこよい映画ができる。
本作品も、徹平を中心とし、事実無根を言い続ける徹平が、無罪となるか有罪となるかで引っ張ることができ、そこに、裁判官や弁護士の習性や過去の類似事案の経験者の現在なども織り交ぜながら、巧みにストーリーが展開されていく。
徹平が留置されてから判決を迎えるまでを、その日常から始まり、裁判で無罪を勝ち取るためのさまざまな活動や努力を含め、具体的に描写しており興味深い。法廷シーンが多いが、一回一回の公判をプロセス重視で描いている。
徹平は上着をドアから引き抜こうとしていただけで痴漢はしていないとする目撃者の市村(唯野未歩子、ただの・みあこ)がようやく見つかり、法廷でも証言する。この決定的証言により、徹平はようやく無罪確定かと思われたが、それでも判決では有罪となってしまう。その判決文のなかで、裁判長・室山(小日向文世)はこの市村発言にも言及し、痴漢行為以前の徹平の行為についての証言であり、痴漢行為のあった時点での徹平の行為については何ら影響がない、と断定した。
徹平が控訴します、と言うところで映画は終わりになる。
痴漢とされたら最後、無実であっても有罪になりうる、という話だ。無実の場合、痴漢行為をしていなかったという証拠集めも大変であるうえに、仮にそれができたとしても、無実の者が有罪になりうるという話だ。
カメラワークに特筆すべきところはないが、私のようにカメラやフレームで映画を観る者にとって、特筆すべきところがない、というのは悪いことではない。例えば、椅子を例に挙げれば、どこにある椅子であれ、椅子に座って、特に何も違和感がなければ、その椅子に対し意識していないということになる。映画のカメラも同じだ。もし、違和感、例えば意図的な撮り方だと感じた場合、それが前後の進捗に適(かな)っていれば、それはそれで効果的演出であり、適っておらず浮いてしまっていれば、奇を衒った技を弄したとしか思えない。
中盤からは法廷中心に、つまり室内劇になるので、撮り方はいろいろくふうしているが、妙に斜めに撮ったり、短いカットを連続させたりすることなく、普通に撮り、普通に編集している。
加瀬亮はじめ、脇役陣の演技はよかった。留置場で徹平と同じ房にいる男(本田博太郎)のオカマっぽい演技がよかった。
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