映画 『イズ エー [is A.]』

監督:藤原健一、脚本:藤原健一、江面貴亮、撮影:鍋島淳裕、照明:安部力、美術:福田宣、編集:高橋幸一、音楽:遠藤浩二、主題歌:BENNIE K「HIDE」、主演:津田寛治、小栗旬、2004年、109分、配給:GPミュージアムソフト


渋谷のレストランで爆発事件が起こる。時限爆弾を仕掛けたのは、ウェブサイトで「Holy Night」と呼ばれる14歳の少年・勇也(小栗旬)であった。多くの犠牲者の中に、刑事・三村栄二(津田寛治)の妻と5歳になる男児がいた。勇也の父・直輝(内藤剛志)は高校教師であったが、事件後、頭を丸め、今ではゴミの収集作業をしていた。

4年後、勇也は出所し、運送会社で働いていた。三村と会った直輝は、勇也は4年で本当に改心したと思うか、と尋ねる。直輝は、親として子を信じてやるしかない、と答える。

そこにまた殺人事件が起こる。八王子の男子高校生が山の中で殺された。彼の家は火薬店で、両親も殺害され、火薬は盗まれていた。いまだに犯人への恨みが消えない三村は、勇也の犯行と直感する。・・・・・・


無差別殺傷という凶悪事件であるが、少年法の規定により、模範囚であれば4年で出てこられる。勇也も18歳で出てきたが、再び犯行を重ねてしまうのである。

幼い子を殺された父親の怨念は、やがて思っていたとおり、高校生殺害や次の爆破事件の犯人が勇也であることを突き止める。勇也を信じるしかないとしていた父親の直輝も、勇也が改心していないことを認め、自ら勇也に手を掛ける決心までする。


ラストは予想どおりの展開で、勇也は三村に銃殺される。たとえ十代の少年だとしても、行った犯罪に対し罰を受けるのは当然で、映画としても、起こしたことに対比し、ラストはこの辻褄合わせでよいだろう。


内容は嫌いでないので、何度か観てきた作品だ。いま観て思うことは、一つはストーリー上の弱点であり、もう一つは撮影上の効果である。


内容上、14歳の勇也がなぜああした犯行に及んだのか、親のしつけなのか、家庭環境なのか、交友関係なのか、そのあたりの描写がないので、いまひとつ勇也の心情に入り込めない、というのが本作品の最大の弱点だ。ラスト前に、三村と直輝が喫茶店で向き合って話をするシーンで、外観的な質疑応答がなされるが、具体的な話は出てこない。勇也の小さいころの写真や思い出話も他のシーンで出るが、具体的な経緯などがひとつも出てこない。何がしか、エピソードなり回想なりで、どんな少年だったのか・当時どうした状況にあったのか、を入れておくべきだった。直輝の台詞に、勇也は賢い子で親として期待した、という言葉が出てくる。周囲の環境や親との関係には何ら問題のなさそうな子であるなら、なぜ大量殺人や時限爆弾に関心をもつようになったのかを、観る側に伝えておかなければならないだろう。

勇也のサイトにある「哀しみを知らない」「痛みを知らない」などだけでは、納得がいかないのだ。もちろん、現実には、何となく・誰でもいいから、人を殺したいとして、そうした犯行に及ぶ者はいるが、これは映画であるから、逆になおさらそのあたりのリアルさがほしいのだ。計画的であり、火薬についての専門知識もあり、宇宙がどうしたという御託まで並べられるほどであるなら、いっそうそのあたりの説明がほしかった。


もうひとつの特徴は、撮影の演出である。全部ではないが、感情が尾を引くシーンでは、必ずといっていいほど、その人物をとらえたまま、かなり長くカメラを回している。いつまでもカットしないので違和感を覚えるところもあるが、それなりの効果を狙ってのことでもあり、これは仕方がないだろう。


狙いはよいと思うし、脇にある登場人物の出るタイミングもよく、脚本も練られている。上記の点が描かれていれば、より重厚な作品になったと思われる。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。