映画 『狩人の夜』

監督:チャールズ・ロートン、製作:ポール・グレゴリー、脚本:ジェームズ・エイジー、撮影:スタンリー・コルテス、編集:ロバート・ゴールデン、音楽:ウォルター・シューマン、主演:ロバート・ミッチャム、1955年、93分、モノクロ、配給:ユナイテッド・アーティスツ、原題:The Night of the Hunter


俳優チャールズ・ロートンの唯一の監督作品。公開当時は不評であったが、後に再評価されていくことになる。


1930年代、大恐慌の嵐が吹き荒れるウェストバージニア州の田舎町クリーサップが舞台。

ベン・ハーパー(ピーター・グレイブス)は、家族のために強盗殺人を犯す。警察の捜査から逃れて家族の元に辿り着いたベンは、強奪した1万ドルの在り処を、息子のジョン(ビリー・チャピン)と娘のパール(サリー・ジェーン・ブルース)に告げる。その直後、ベンは、彼を追跡してきた警察に子供たちの目の前で逮捕され、やがて死刑判決を受ける。

ちょうどその頃、車を盗難した罪でベンと同じ雑居房に収容されたハリー・パウエル(ロバート・ミッチャム)は、ベンから、盗んだ大金の在り処を聞き出そうとするが、ベンは断り続ける。しかしある晩、ハリーは、「小さい子供がそれらを導く」というベンの寝言を聞き、ベンの子供たちが在り処を知っているのではないかと推測する。ハリーは実は車強盗どころではなく、伝道師のふりをした殺人鬼であり、神の正義の名の下に未亡人たちを殺害し、その金を奪うという凶悪犯罪を繰り返してきていたのだった。ベンは処刑され、ハリーは釈放された。

ハリーは、誠実な伝道師を装い、ベンの残された家族が住むクリーサップの街を訪れる。自身の両指の表に刻まれた「L-O-V-E」と「H-A-T-E」の刺青を用いた巧みな説教によって、ハリーはクリーサップの住民の信頼を得ていく。そして言葉巧みにベンの妻ウィラ(シェリー・ウィンターズ)に近付き、結婚してしまう。

ハリーにとっては、あとは子供たちから、1万ドルの在り処を聞き出すだけとなった。そうなれば、それを強奪し、どこへともなく消えて行く段取りであった。だが、パールはなつかせたものの、ジョンはハリーを信用せず、いつまでもなつかなかった。・・・・・・


母ウィラが行方不明になったことを知ったジョンとパールは、あとを追ってくるハリーから何とか逃げ、ボートで川を下る。たまたま舟を止め、岸で休んでいた二人を拾ったのは、レイチェル・クーパー(リリアン・ギッシュ)という老婦人であった。レイチェルは、自宅でみなしごたち数人の面倒をみている道徳心ある婦人であった。


本編の始まる前に、このレイチェル役リリアン・ギッシュが、カメラに向かって、世の中の教訓めいたことを述べ、次いで本編に入る。この部分をはじめ、ハリーの説教など、いたるところに聖書からの引用があり、われわれ日本人からすると、正直なところとっつきにくい。

ハリーは極悪人としてのみ描かれる。殺人者であり、伝道師を騙(かた)って村人をだまし、ウィラを欺いて結婚までする、しかし愛など微塵もなく、目的は、子供たちからカネの在り処を聞き出すことであった。この極悪人に対する位置づけが、子供たちであり、レイチェルなのである。正義が優り、悪は追放される、という図式に則った、いかにも勧善懲悪を中心に据えたストーリーなのである。

しかし、社会の壁にぶつかりつつ、勧善懲悪を体得していくのであれば、このジョンの存在だけでもよく、そこに善なる大人を登場させればよかっただけであろう。そこを、何かと聖書のおしえに結び付ける展開には、やや閉口するし、エンタメ性も見出せない。


唯一、タイムリーで穏やかなメロディーは各シーンに応じており、ハリーの悪行のつづくなか、それら旋律は救いともなる。また、ロバート・ミッチャムの意外にも細やかな演技が見られるのもありがたい。


当時、ある意味で新機軸を開いたようなストーリーということだろう。映画としての主張は明確であり、誠実に撮られた作品ではあるが、それだけにエンタメ性は犠牲になってしまった感がある。


シェリー・ウィンタースは、中盤、ハリーに殺され、川の底深くで息もせず浮遊する。シェリー・ウィンタースは脇役が多かったが、潜水の得意な女優であり、その特技は、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)のラスト近くでも発揮されている。『陽のあたる場所』(1951年)で、気の毒な女性を演じたのを見たのが初めてであった。

本作品のあと、『拳銃の報酬』(1959年)、『ロリータ』(1962年)、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)、『テナント/恐怖を借りた男』(1976年)へと印象的な出演が続く。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。