映画 『望み』

監督:堤幸彦、脚本:奥寺佐渡子、原作:雫井脩介『望み』、撮影:相馬大輔、編集:洲﨑千恵子、美術:磯見俊裕、照明:佐藤浩太、録音:鴇田満男、音楽:山内達哉、主演:堤真一、石田ゆり子、2020年、108分、配給:KADOKAWA


埼玉県某市の住宅街。自宅隣に事務所を構える建築デザイナーの石川一登(かずと、堤真一)と、出版物の校正の仕事を家でしている妻・石川貴代美(石田ゆり子)、長男の高校1年・石川規士(ただし、岡田健史)、中学3年で高校受験を控える石川雅(みやび、清原果耶)の四人家族そのものが主役の映画。


ある日、規士が外泊をしたまま連絡がとれなくなった。テレビで、脱輪して事故を起こし放置されている車のトランクから、十代の高校生風の男の遺体が見つかった、というニュースが流れる。その遺体は、規士の同級生・倉橋与志彦で、規士と同じサッカー部に所属していたことがわかってくる。事件後、逃走した若い男が二人いるとの噂や、もう一人殺されているようだとする話が広まり、一登と貴代美は、規士の身の上に何かあったと直感する。規士は加害者として逃走しているのか、それとも、もう一人の被害者なのか、警察の捜査でもなかなか事態は進展しなかった。・・・・・・


堤幸彦監督、相変わらずいい仕事していると思う。『池袋ウエストゲートパーク』(2000年)の演出、『明日の記憶』(2006年)など思い出に残る。


ファーストシーンでは、ドローンを使い、住宅街の俯瞰から徐々に眼下の住宅街をとらえ、石川家の家屋をクローズアップして、家の正面に落ち着く。ラストシーンではこの逆となっている。どの家庭にも起こり得る問題、あるいは、その家庭にも何かしらの問題があると暗示するこの演出効果は高い。


12月17日(火)から、シーンの変化ごとに美しい景色とともに日付けが出され、1月9日(木)で終わる。年末年始をはさみ、事件が起き、その真相が明らかにされる。

規士が何を仕出かしたのか、という心配とともに、連絡のつかないことによる夫婦の不安だ主題だ。真相が明らかにならないなか、一登の心配は、規士が被害者であるほうに傾き、貴代美の心配は、規士が加害者であるほうに傾いていく。一登は、規士が人を殺すような人間ではない、と信ずるが、貴代美は、犯罪者になっても、母親として、生存していることが最も重要だと言い張る。脚本は、夫婦の考えの違いを鮮明にした。


世間では、規士の殺人犯説が勝手に流布され、一登の客や仕事仲間にも縁を切られそうになる。玄関には卵が投げつけられ、スプレーでいたずら書きをされる。マスコミは毎日のように、自宅前に押し寄せ、質問を投げる。

こうした状況下で、ただひたすら、規士の<無事>を祈る貴代美と、規士の<無辜>を信じる一登が対比されたことにより、二人の思いの違いから生ずるエネルギーが、却って、世間のデマやマスコミの傍若無人ぶりに対する抵抗力と均衡を保っている。


規士が行方不明になったころ、貴代美が規士のへやのゴミ箱から、小刀を買ったことがわかる。一登が、買った目的を規士に尋ねるが、要領を得ぬ返事をしないため、一登が預かり、自分の事務所の用具入れに保管する。規士失踪後、そこに小刀がないことに気付き、規士は何もしていないという一登の信念が折れそうになる。ところが、数日後、規士のへやの抽斗から、その小刀が見つかり、やはり規士は加害者ではなかったことを確信する。一登はそこで嗚咽する。

小道具がほとんどクローズアップされない本作品において、この小刀の存在は規士の<アリバイ>ともなっており、感動的なシーンとなった。このシーンを山に、事態は解決のほうへと進んでいく。


ストーリーは悲劇的結末を向かえ、冒頭に流された家族の写真に一枚加わり、そこに写っているのは、規士を除く三人であった。雅は志望通りの高校に進学し、一登の仕事仲間も、いっときは規士を疑ったことを謝罪する。

残念な結果になったが、しばらく映画はつづき、規士不在の穴を埋めるかのように、家族は生きていく。やや軽い終盤ではあるが、その前の重苦しいシーンの連続を振り払うことができた。


担任、校長など学校関係者が一切登場しない違和感はあり、突っ込みどころも多いが、あくまで夫婦の心理に焦点を当てたものとして甘受しよう。


笑顔を想起しやすい堤真一、石田ゆり子をシリアスな役回りにしたのは、キャスティングとしてよかった。竜雷太の元気な姿を見られたのもうれしい。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。