監督:アナトール・リトヴァク、原作・脚本:ルシール・フレッチャー、撮影:ソル・ポリト、音楽:フランツ・ワックスマン、主演:バーバラ・スタンウィック、バート・ランカスター、1948年9月(日本公開は1950年5月)、89分、モノクロ、原題:Sorry, Wrong Number(番号違いですよ)
午後9時23分から11時15分までの出来事を、86分ほどの映画にしている。
まだ主な電話の通話が交換台を通じてなされていた時代の話だ。
レオナ(バーバラ・スタンウィック)は、午後6時には帰ると言っていた夫ヘンリー(バート・ランカスター)がなかなか帰らないので、夫の会社に何度も電話するが通じない。
レオナは心臓を患っており、ほとんどベッドに寝たきりであり、電話だけが、外部との通信手段であった。レオナの父は製薬会社の社長であり、ヘンリーはレオナと結婚し、副社長となっていた。
ようやく電話が通じたと思いきや、聞こえてきたのは、混線によって、恐ろしい殺人実行の確認をする二人の男の会話であった。
レオナはとりあえず警察に電話するが、たいした証拠もなく、毎日のように殺人が起きているニューヨークでは、捜査のしようがない、などと言われてしまう。
ヘンリーの行方を追い、レオナはまず、秘書に電話してみた。・・・・・・
高校生のころ、テレビで見て、VHSでは発売されておらず、DVDの時代となっても発売されず、もう見られないかと思っていたが、2009年暮れにようやく、ジュネス企画という会社から発売されたことを知り、さっそく手に入れた作品だ。
サスペンス映画であるが、私が後に見ていろいろ影響を受けたヒッチコックの一連の作品と異なり、英国紳士的ユーモアやお笑いのシーンなど一つもなく、時々刻々と殺人へと進行する展開がすばらしい。
もともと、女性脚本家ルシール・フレッチャーが1943年に制作した30分のラジオドラマを映画化したものである。ラジオ全盛時代に、こうしたサスペンスドラマをラジオで聴いていた視聴者は、かなり恐ろしく感じたであろう。電話にしても、いまだ交換台を通して通話するころの話であり、それだからこそ生まれた傑作と言える。
初め、男二人の話す殺害計画は全く他人のことと思っていたレオナが、実は、それがまさに自分のことであることを知ってからの展開が興味深い。
バーバラ・スタンウィックは好きな女優の一人であり、『群衆』(1941年)、『深夜の告白』(1949年)などで知られ、この作品で、4度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされた。日本公開は1950年で、バート・ランカスターにとって、日本初のお目見えとなった作品でもある。
父子家庭でわがままに育ったレオナが、友人から略奪するようにして夫にしたヘンリーは、副社長といえどたいした仕事も回されず、工場にいる責任者を口説いて、外部のヤクザ者とともに、自社製品の横流しを始める。
順調に行っていた悪事が露見しはじめ、やがて自分と工場の人間だけで横流し品を売り、ヤクザ者に自分たちだけで利益を上げていたことがバれ、その落とし前の形(かた)となったのが、レオナの命なのであった。
映画は、レオナのベッド回りのシーンが中心であり、その他は回想となっている。それだけに、レオナのへやを撮るために、カメラはさまざまな工夫を凝らしている。
『ジキル博士とハイド氏』(1941年)、『サンセット大通り』(1950年)、『陽のあたる場所』(1951年)、『裏窓』(1954年)などで知られるフランツ・ワックスマンのスリリングな音楽も効果的だ。
優れた脚本、俳優の名演、秀逸なカメラワーク、効果的なBGM、…これらが結集して出来たみごとな映画だ。
0コメント